ブラレイコ

ブラっと訪れた人生の寄り道からの学びを、ゆるふわに綴る場所

睦月に想う、季節と言葉とネイル

旧暦の睦月も、もう終わり。

睦月の「睦」は、『親しくて仲がよい。むつまじい。親しくする。むつぶ。』を意味している。
一年のはじまりの月に、人との繋がりを連想させる「睦」が使われているのは嬉しい。

季節の移ろいのなかで出逢う言葉がある。
中でも、春の言葉は特別だ。

かつて旧暦で過ごしていた時代、一年のはじまりは春と共にあった。
そんな始まりの「春」。その語源は古く、自然の姿から生まれた ”やまとことば” だという。

天気の「晴る」、草木の芽が「張る」、万物が「発つる」、田畑の「墾る」、目を「見張る」などに関係し、広々として見通しが明るくなること、万物が清明な様子をいう。「はる」に「ふ」をつけると「はらふ」。
「和暦 日日是好日」より

 

今回は、春のはじまりに出逢った、お気に入りの言葉たちを記録する。

睦月に出逢った、8つの季節の言葉

  • 梅ふふむ

「ふふむ」は木の芽や蕾が膨らむこと。「梅ふふむ」とは梅がまだ開花せず、ふっくらと紅色が兆し始めた梅のつぼみを表す季語。響きがとっても可愛らしい。

ちなみに「桜ふふむ」とは言わないらしい。
寒さ残る時期に、梅のつぼみを見て春を待ち遠しく思うその心が、「梅ふふむ」を季語にしたに違いない。

  • 笑い梅

家紋の一種。そのデザインセンスがとても良い。

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梅がほころび、その姿を見た人たちの顔もほころぶ。厳しい冬があるからこそ、春の訪れはより特別なものになるのかもしれない。
ところで、梅にまつわる家紋は、これ以外にもたくさんある。

minabe.net

  • 梅暦(うめごよみ)

梅の花の咲くのを見て、春を知ること。梅は、別名「春告草(はるつげぐさ)」とも言うそう。梅を見て春を感じるのは、今も昔も変わらないんだなあ。

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▲こちらは、梅をモチーフにしたネイル。わたしなりに「梅暦」を日常に取り入れてみた結果なのだ。最近、和暦を意識した和ネイルが楽しい◎

 

  • 東風(こち)

春を告げる、東寄りの風。
冬の寒さを運ぶ北風が、東風に変わることで春を感じていた、ということ。昔は自然と共に生きていたのだなあ、と改め思う。

『東風(こち)吹かば  にほひおこせよ 梅の花   主なしとて  春を忘るな』は、菅原道真が詠んだ有名な歌。この歌は、平安京から太宰府への左遷が決まり、自宅を離れるときに日頃愛でていた梅の木に歌ったものである。

この梅の木、主人の思いを受けて、一晩で太宰府まで飛んで行った(!)と言われており、「飛梅(とびうめ)」として今なお太宰府天満宮で花を咲かせているそう。

  • 初音(はつね)

初音ミクでお馴染みの「初音」。その本来の意味は、その年最初に鳴く鶯(うぐいす)の声。広義に捉えると、鴬だけでなく、その他の鳥・虫の最初の鳴く声すべてを指すこともあるようだ。

鴬もまた、春告鳥(はるつげどり)という別名を持っている。
そう言えば、七十二候の第二候は「うぐいすなく」だった。昔も今も、みんな「ホーホケキョ」を待っているんだな。

weathernews.jp

  • 春意(しゅんい) 

春意とは、『春めく気配。また、春ののどかな気分』のこと。
へぇ〜、こんな言葉があったなんて知らなかった!

そこで、夏意・秋意・冬意をそれぞれ調べてみた。すると、夏意・冬意という言葉は辞書には載っていなかった。が、秋意(しゅうい)という言葉はあったのだっ…… !

秋意とは、『秋の気配。秋の風情』とのこと。

春意・秋意ともに季語である。春と秋にだけあるっていうのも、何となくわかる。季節が移ろっていく感覚、それはグラデーションで曖昧で、でも確実に移り変わる感覚。あぁ、きっとこの感覚を楽しんで、味わって、言葉にしたに違いない。

  • 雨水(うすい)

あまみず、とも読むが、今回注目したいのは、二十四節気の一つである「雨水(うすい)」の方。立春から15日目を季節を指す。

雨水とは、『雪が雨に変わり、草木が芽吹き始める時季』を意味しているのだって。「あまみず」というイメージには無い、春めくワクワク感を感じずにはいられない。

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▲ちょうどこの言葉を知ったときの和ネイルがこちら。雨水からイメージした、雪解け水を表現してもらう。

こちらも二十四節気の一つ。雨水の次に来るのが「啓蟄」だ。
全く馴染みがなかった言葉なので、改めてその意味を調べてみた。

啓は「開く」、蟄は「虫たちが土などの隠れている様子」。なので、「啓蟄」は『虫たちが冬眠から目覚めて這い出す時季』を意味しているそう。
(虫は苦手だけど…… )たしかに、春の訪れの感じさせてくれる自然現象である。

 

季節と言葉、昔と今

季節をあらわす言葉には、不思議な魅力がある。

なぜなら、”季節の言葉” があるということは、目の前で起きている自然現象の ”その瞬間”に、誰かが意味を感じ、言葉を与え、いまに至るまで受け継がれてきた証拠なのだから。

「梅ふふむ」も、梅の蕾のふくらみに愛おしさを感じた誰かが名付けたに違いない。
「春意」も、冬の間に感じなかった穏やかでのどかな気持ちを、たいせつにした誰かが名付けたに違いない。


そんなことを考えていると、季節と言葉を通じて、古来の人たちとの繋がりを感じたり価値観に触れたりできる気がして、とにかく楽しい。

昔も今も変わらず繰り返してゆく季節のなかで、何を感じ、何を想うか。
それは、きっと難しいことではなくて、自由で、豊かで、自分の好奇心の赴くままに感じ、想えば良いのである。

 

つまりそれは、「菅原道真は、わたしの梅ネイルを気に入ってくれるかな」とかだったりする。

 

 

楽しみはつづく☺︎

 

今回ご紹介した言葉たちは、わたしの愛用している手帳「和暦 日日是好日」に書かれていた言葉たちだ。手帳を読むだけで、こんな素敵な言葉に出逢える。そこから、自分で調べることでどんどん知識が広がる故、この手帳は癖になる。

以前書いたブログはこちら。

reicoouchi.hatenablog.com