大地の芸術祭で、人はより人間らしくなる
新潟の自然はワイルドで、深くて、どこか懐かしい。
先日のこと、新潟県十日町で開催された「大地の芸術祭」へ行ってきた。芸術祭は、昨年の奥能登で開催されたものから2回目。新潟の芸術祭には、初参加だ。
稲刈りを待つ稲穂が、美しいこの季節。わたしたちは、新潟の地で、日本人のDNAを存分に感じることができた。
芸術祭をする意味とは
その土地を知る方法は いくらでもある訳だけど、外から来た人間が、その土地を理解して住む人との接点を作るというのは、なかなか難しい。
特に過疎が進んでいる地域は、高齢者も多く閉鎖的になりがちだし、環境スポットや商売やっている人でもない限りは、土地をPRすることもないだろうし。
そんな中に、あえてアート作品を送り込むことで、新しい化学反応をつくろうと考えたのが、芸術祭だ。
アーティストは他者の土地にものをつくらねばならず、地域とのコミュニケーションが欠かせません。やがてアーティストの熱意が伝わり、住民は協働者として作品に関わり始めました。また、都会から多くの若者がボランティアに参加し、「過疎地の・農業をやってきた・お年寄り」と「都市で・何をやっているかわからない・学生」との出会いは、衝突・困惑から理解・協働へと変化していきました。
普段出会わないもの同士が出会うことは、とってもストレスフルだと思うけれど。向き合って、ぶつかって、打ち解けたとき、新しい”何か”が生まれるに違いない。
そして、わたしたち来訪者は、その”何か”を、アート作品から、その土地の人たちから、ボランティアスタッフから、感じることができるのだ。
簡単ではない融合であるからこそ、芸術祭はわたしたちを魅了させる。
そこにあるストーリーに触れ、教えられる
「この棚田は、ずっと一人のおじいさんが管理をしていたものなんだ。
急斜面の雑草を刈ったり、田を耕したり、手入れを一人でやっていたけど、高齢にともなって棚田を手放すことを決めたんだ」
その「棚田」は、まつだい農舞台といって、芸術祭の代表的なスポットの1つにあるアート作品だ。
新潟の美しい棚田に、伝統的な稲作の情景を詠んだテキストと、対岸の棚田で作業する人々をかたどった彫刻を配置された、このアート作品。
何も知らずに見ても、四季折々の棚田の情景を彷彿とさせるのだけれど、それだけだと足りていないストーリーがある。
この棚田は、アート作品の以前に「一人のおじいさんの棚田」という事実。おじいさんは、作品を作ろうとしていた訳ではない。自分の生活の一部として、この棚田を耕していた。
今年、この棚田をアート作品にすることをオファーしたとき、おじいさんはすぐには承諾をしなかったそうだ。
自分が作り上げて来た棚田に対する、色々な想いがあったのだろう。
そんなおじいさんを想像しながら、アート作品を改めて見てみる。あの彫刻は、移りゆく季節のなかで、棚田を向き合っていたおじいさんの姿なのかもしれない。
見ず知らずの(顔すら知らない)おじいさんのことを想いながら見る「棚田」から、わたしたちは沢山の感謝を想う。
棚田を守ってくれていたおじいさんへの感謝、
農作物を作ってくださっている農家の皆さんへの感謝、
この芸術祭を支えてくれている地元の皆さん、スタッフの皆さんへの感謝。
アート作品の背景にあるストーリーに触れるだけで、目の前の景色に違った想いが湧き上がる。それもまた、芸術祭のおもしろ味なのかもしれない。
初めての土地に懐かしさを感じる不思議
この地にやって来るのは、全くのはじめてなのだけど。そこで見る風景に、なぜか懐かしさを感じてしまうのは何故だろう。
山に囲まれた美しい田んぼ道、どこまでも広がるブナ林、木造建築の小学校…… それらは、生まれてはじめて訪れた場所なのに。
どこか懐かしく、落ち着く。
こういう景色を「原風景」というらしい。
原風景(げんふうけい)は、人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。
わたしの記憶のなかに、これらの風景が刻み込まれていたということ。
わたしが実際通っていた小学校なんて、木造どころか、コンクリート打ちっぱなしの最新小学校だったのにも関わらず、だ(笑)
子供のころの記憶のなかで、どこかで日本の風景のイメージをつくっていたのだなあ、と気づかされる。
なんだ、ちゃんと染み付いてるじゃん、日本人のDNA。
そう思った途端、うれしい気持ちが湧き上がる。
無意識の意識が、表出した瞬間。わたしたちは、自分の内側から自国への愛情を感じることができた。
芸術祭は、人間を人間らしくする1つのアプローチ
最後に、大地の芸術祭で出会ったアート作品の数々の写真を。
芸術祭として開催をするのは3年に1回ではあるけれど、作品たちの一部は撤去せずにそのまま残される。
この土地は、芸術祭をキッカケに、アート作品を受け入れ、アート作品とともに暮らす選択をしたのだ。
閉鎖的な土地に、あえてアート作品を融合させる。それによって、日常では出逢わない人たちが交差する。
もちろん大変なこともたくさんあるのだろうけれど、ポジティブな変化も訪れる。
地元の皆さんや関わりあった人たちの、活力や、笑顔や、誇りが生まれるのだ。
芸術祭、それは極めて人間的なアプローチ。
世代・地域・ジャンルを超えて、わたしたちの奥底にある感覚に刺激を与える。
閉ざされた、個々の日常では起こりえないことが、芸術祭というプラットフォームの上では起こり得るのだ。
今回、わたしたちは、総勢17名で芸術祭へ出向き、新しい繋がりが生まれた。
芸術祭の、その一部となったのだ。
これは癖になる。また、行こう〜っと。
楽しみはつづく☺︎