ブラレイコ

ブラっと訪れた人生の寄り道からの学びを、ゆるふわに綴る場所

祖母、天国へと旅立つ

それは、2月3日の節分の日だった。

暦のうえでは、冬の終わりを意味する日。
翌日の立春から新しい春が始まる、ちょうど節目の日。

そんな日を、祖母は最期の日に ”選んだ” に違いない。
国語教師で、歌人で、暦に詳しい、祖母らしい最期の日に。

 

祖母の心に触れた夜

安らかな天国への旅立ちを見届けたその夜、わたしは1冊の小冊子に出逢った。
淡い青色の和紙で作られた、祖母が17年前に自主制作した短歌集だった。

思慕(しぼ)と書かれた表紙をめくると「総さんに捧げる」の文字。総(あつむ)さんとは、2000年に亡くなった祖父のことだ。

そして、このような言葉が綴られていた。

この小冊子は、私の夫に捧げるうた、謂うなれば「鎮魂歌」なのである。彼は、平成十二年(二〇〇〇)年九月六日に逝った。奇しくもその日は彼七十七歳の誕生日であった。

爾来(じらい)数ヶ月、拠り所を失った私は無我夢中で作歌にしがみついて生きてきた。

私を取り巻く方々の温かい思いやりも、心籠る旅への誘いに感謝しつつも空しさが胸の中を吹き抜けるばかり、どうにもやりきれない日々だった。

このささやかな歌集は、推敲していない。
何故ならばあの日以来沸上がりくる彼への想いを綴った作品だからである。

この歌集は、誰に読んでもらおうという代物ではない。しかし、私達の愛の分身であるところの啓子・裕子・正・充の諸子にはあえて贈りたい。


驚いた。こんなものが存在していたなんて。

祖母が旅立った夜に、孫のわたしがこの歌集を手にすると言う、不思議な縁。このまま読んでいいのだろうかと気になりつつも、わたしの右手は止まることはなく。
ゆっくりと、1ページ1ページめくっていった。

そこには、祖父を亡くした祖母の、湧き上がる悲しみ・喪失感・感謝…… 複雑な感情が包み隠さずに歌われていた。

その数、54首。

亡くなった後の病室で、自宅の遺影の前で、近所のスーパーで、夜ふと目覚めた布団のなかで、家族との旅行の途中で、思い出の遊歩道で…… さまざまな日常のなかで、祖母は祖父を想って、歌を詠み続けていた。

小柄な祖母の身体のなかから溢れ出た、大きな大きな祖父への愛が、小冊子のなかに、ぎゅぎゅーっと詰まっていたのだ。

ページをめくるたびに、その愛が解き放たれたかのように、わたしの身体にドクドクーっと流れこんでくる。まるで、言葉の一つひとつに込められた想いが、生きているかのように、躍動的に。


驚いた。こんな感覚は、初めてだったから。

うまく言葉にはできないけれど、身体のなかに流れくる ”何か” を感じ取り、直感的にこう思った。

深い愛は、触れたひとの心に伝わり、残り継がれるものなのかもしれない。
この感覚は、これからも祖母とわたしを繋ぎ続けてくれるものなのかもしれない。
とてもたいせつな祖母からのメッセージなのかもしれない。

この感覚は、忘れてはいけない。だから、感覚が残っているいま、ブログに残しておこうと決めた。

きっと、この体験は、一生忘れられないたいせつなものだから。

 

 

私たちは想いを繋いで生きている

文学少女だった祖母は、小学校の国語教師になった。そして、教員だった祖父と出逢い、結ばれた。祖父のことが、大好きだった。

季節の移ろいを楽しみ、草花を愛でた。短歌と俳句を嗜み、言葉の表現にこだわった。
家事や整理整頓は苦手であったが、絵ハガキや裁縫や折り紙などクリエイティブなセンスはあった。

フットワークは軽く、アクティブだった。賑やかなところが好きで、どんな人も時代の変化も受け入れ楽しんでいた。芯が強く、忍耐強かった。

生前、祖父と祖母は、地元の大学へ献体することを決めていた。医大の教育と研究に貢献するための人生最期の社会貢献の道を選んでいた。教育者としての志なのだろう。

 

わたしは、祖母の長い人生の一片しか知らないから、祖母の人生を語ることはできないけれど、孫として、祖母の影響を受け継いでいることは断言ができる。

祖母の話をすると、わたしの友人たちは口を揃えてこう言う「あなたのルーツがわかった」と。

教育に携わり、日本語に興味を持ち、言葉で表現することが大好きで、日本文化への興味関心のあるわたしは、図らずしも、祖母の歩んだ道に向かって歩み出しているようだ。

いまになって、祖母からの影響を強く感じる。もっと早くわかっていれば、教えてもらえることがたくさんあっただろうに。

 

今日もまた、祖母の本棚の前に座る。あの夜から、何度ここに来ただろうか。この本棚には、本に加えて、日記や短歌など祖母の言葉が溢れているのだ。

百人一首の本と歳時記を手に取った。この棚にある本は、どれも難しいものばかりだから、そのなかで一番簡単そうなものを選んだ。

これが、祖母がたいせつにしていたものを学んでいく、最初の一歩になるのだ。

 

こうやって、わたしたちは、先祖や家族やたいせつな人の想いを繋いで生きていく。
それが、残されたひとの、生きる意味になるのかもしれない。

 


最後に、祖母への想いを込めて。

祖父偲び 祖母の綴った鎮魂歌 貴女亡きいま想ひ重なる

本棚に残った言の葉 溢れ舞う 小さき祖母のこころの宇宙 

亡き祖母の生きた道跡知りていま 誇らしくもあり羨ましくもあり

 

いま頃、大好きな祖父との18年ぶりの再会を果たしていることでしょう。

愛溢れる幸せいっぱいの歌を詠んでいることを願って。合掌。

 



楽しみはつづく☺︎