ブラレイコ

ブラっと訪れた人生の寄り道からの学びを、ゆるふわに綴る場所

伊勢神宮の森に教えられる、古の智恵

この1ヶ月ちょっと、ブログ更新は滞ってしまったけれど
日本の自然、精神、文化…… など数々体感する機会をいただけた実りある月であった。

今回は、6月に伊勢神宮を訪れて感じたこと、神宮の近くのカフェで購入した「伊勢神宮の智恵」から学び得たことを中心に、つらつらと書き留めておく。

The Wisdom of Ise Jingu   伊勢神宮の智恵

The Wisdom of Ise Jingu   伊勢神宮の智恵

 

 

伊勢神宮、そこはまさに世界の聖域

「深い森のなかで、世界で一番古くて新しいものを見つけました。」
アメリカの建築家 アントニン・レイモンドの言葉)

 

ギリシャ人は、永遠に存続するものと信じにて神殿を大理石で建造した。一方日本人は、二十年以上はもたないと知りつつ、いずれは腐ってしまう材料で造った。」(アメリカの日本文学研究家 ドナルド・キーンの言葉)

 

「そこには聖なる感情があり、人間が自然と調和している。」(フランスの哲学者 ガブリエル・マルセルの言葉)

 

皇大神宮に通じる荘厳な橋もまた、他の全ての祭儀用具と同じように、二十年毎に解体して架け替えられているのである。人間の良心に宿るこの宗教的・霊的現実に目を閉ざさないことが重要である。なぜなら、神性に対するこのような根強い信仰の表現は、私の知る限り、日本民族にしか見い出されないのである。」(イスラエルの聖書学者 アンドレ・シュラキの言葉)

 

「神宮の美しい自然とそれを維持する人々の態度、神宮の平和的な環境は素晴らしいものだと感じた。」(チベット仏教最高指導者 ダライ・ラマ法王十四世)

 

あの広大な森と神宮は、日本人にとって特別なものであると同じように、世界の人たちにとっても特別なもののようだ。


まさに、伊勢神宮は、世界の聖域。

 

https://www.instagram.com/p/BkEsQciBe3n/

 

 

目に見えない何かを感じられる場所

伊勢と言えば、西行のあの歌を思い出す。

 

「何事の おはしますかは知らねども 
 かたじけなさに 涙こぼるる」(西行

 

「どなたがいらっしゃるのかはわからないけれども、ありがたさに涙がこぼれます」と目には見えない世界観を詠んだ歌。さらに、西行上人家集には、「大神宮の御祭日によめる」という記載があるらしい。

奥深い神宮の御垣内では、どのような祭事がおありになるのか見知ることはできないけれども、その波動を感じて涙した、と解釈ができるそうだ。

 

そして、西行を追慕して詠んだ芭蕉の歌がこちら。


「何の木の 花とは知らず 匂ひ哉」

西行芭蕉も僧形だった。当時、僧や尼の格好をしている人たちは、一般とは少し離れたところで参宮する決まりがあったそうだ。

その距離をも超えて、神宮の尊さを感じていたに違いない。

 

「来て!
 見て!
 感じて!」


このフレーズは、前神宮大宮司である北白川道久さんのお言葉。

伊勢神宮は、訪れて・見て・何かを感じ取ることができる不思議な場所ということ。

 

 

伊勢神宮は森と共に生きている

伊勢へ訪問する前に、たまたま見る機会があった映画がある。ドキュメンタリー「うみやまあひだ 〜伊勢神宮の森から響くメッセージ〜」だ。


これが伊勢神宮だ!映画『うみやまあひだ ~伊勢神宮の森から響くメッセージ~』予告編

 

伊勢神宮は、壮大な森の一角にある。

その広さ5,500ha。これは東京都世田谷区の面積や、甲子園球場のおよそ1400個分に相当する。(関西だからか、東京ドームじゃなくて甲子園で表現されることが多いみたい)

ものすっご〜く大きい。

伊勢神宮は、森と共に生きているのだ。 

 

「山見れば 高く貴し
 河見れば さやけく清し
 水門なす 海も広し」

 

万葉集にも謳われた、伊勢の美しい自然。
春には豊作を祈り、秋の稔りに感謝をする稲作を中心とした祭を続けてきた。

まさに、伊勢の自然と祭は、日本の原風景だ。

米を作るために稲田には水が必要、そのために川が大切にされ、水源となる山が守られる。山の養分を含んだ水は、田畑ばかりか海の幸をも豊かに育む。

水は山から海へ流れ、太陽の光を浴びて蒸発。雲となり雨となって、山を潤す。この循環が美しく、たくましい日本風景を形成した。
伊勢神宮の智恵より抜粋)


自然のつながりのなかに生きているということ。
それは、八百万の神さまに感謝をする日本人の心。

伊勢神宮は、2000年の間、それをずっとずっと守り続けている。

 

 

式年遷宮、それは理想を守り続けるための定め

神宮がいつの時代も瑞々しいのは、二十年に一度という式年制度を守り、宮を移し続けてきているから。

変化を繰り返す歴史のなかで、伝統を受け継ぐための発想。大切なものを守るための発想。

遷宮を実現するために、森で木を育て、技法を受け継ぐ。
遷宮を実現するために、想像を超える人たちが関わり、多くの時間をかけて、古からの伝統を繰り返す。

この式年制度を最初に取り入れたのは、天武天皇と推察されている。当時、中国大陸からたくさんの文化が導入された変化の大きい時代だったそうだ。そのような背景のなかで、伊勢を守り抜くための思案だったのかもしれない。

 

式年が二十年とされているのには、諸説あるようだが、最も有力な学説は「神宮の小堀邦夫禰宜(こぼりくにおねぎ)の稲の貯蔵年限説」だ。

古代の遷宮は、税(穀物類)によって行われていた。その税の一つの倉庫貯蔵年限が二十年であり、その期間に遷宮を行うというのは、科学と経済に裏づけされた道理と言われている。


千三百年受け継がれている式年遷宮

それは、常に生命力を持って、瑞々しく、古の理想を守り続けるための合理的なシステムだ。

 

 

お参りの後は・・・

おかげ横丁赤福さんで一服。

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この赤福という名前は、「赤心慶福(せきしんけいふく)」という言葉に由来するらしい。

ある日、店を訪れた茶人が「この餅は赤心慶福の味がする」と言ったことから始まったとされる。赤心は「赤ん坊のような純粋な気持ち」、慶福は「人様の幸せを自分のことのように喜ぶ」という意味があるそう。

茶人は、赤福餅によるおもてなしが「澄んだ心を呼び覚まし、喜びをもたらした」ということを表現したのだろう。

赤福を食べて、ほっこりと幸せな気持ちになるのはいまも昔も変わらないということ。

 

人生2度目のお伊勢さん。

美しい自然と古から続く伝統に、たくさんの感謝が生まれる旅となりました。

 

楽しみはつづく☺︎