平成の終わりに思い出すギフト
この1ヶ月は、毎日のようにニュースで平成の振り返り番組が流れている。特に、天皇陛下と美智子さまのお姿を映像で見る頻度は、格段に増えた。
私は、あるボランティア活動をキッカケに、天皇皇后両陛下に対する想いが大きく変化した。
お二人から大きな無償の愛を感じているし、お二人に対する感謝の気持ちが溢れてる。こんな気持ちになるのは自分でも驚きだけど、この気持ちに1mmの偽りもない。
今日は、そのキッカケとなった出来事について振り返り、その時の自分の気持ちを忘れないように記録しておきたい。
美しい皇居を守るためのボランティア活動
昨年のこと。知人からのお誘いで、あるボランティア活動へ参加した。
この活動を宣伝したい訳ではないので、詳細レポートを書くつもりはなく。
ただ、純粋に、このボランティア活動を通じて感じたこと・気づいたことを記録したいと思う。
団体行動・土いじり・求められる丁寧さ…… 非日常な4日間
ボランティア活動は、平日の連続した4日間で行われる。
主な活動は、草むしりと、落ちた葉や梅の実を拾うこと。手で拾ったり、ホウキを使ったり、鎌で刈ったり。高齢者の参加者もいるため、ハードワークではない。無理はさせず、休憩も頻繁に取りながら行われる。
4日間の作業直後に、私が感じたことを記録したメモがある。
広大な皇居の敷地には、たくさんの木々・鳥・虫が生息しているが、それらの生命活動を維持するには、毎日毎日の丁寧な作業が求められる。
皇居の広大な自然に包まれながら、小さな存在である自分を感じ、大変心地よく作業をすることができた。
一人ではなく、数十名で一気にやる。生産性よりも、目の前のことを丁寧にやることを優先する。
自然が相手故に、人間が及ばないことがたくさんある。慣れない作業故に、上手くできないことがたくさんある。
今回のボランティアを通じて、手間暇をかけることの喜びを思い出した。
清掃作業の合間に、皇居内の建物や歴史、祭祀などのご紹介を受ける機会があった。また、皇室の方々とご挨拶させていただくという貴重な機会もあった。
それらを通じて、古来の日本は自然とどう関わってきたのか、古来より引き継がれている伝統や国民に対する思いなどを知ることができた。
日本人として生まれ育っていても、日本について知っていることはほんの一部かもしれない。今回は、清掃活動を通じて、古来からの日本の良さ・日本人のあり方などを知ることができた。ボランティアと言いつつ、受け取ることのほうが大きかった経験となった。
この活動はまるでリトリートのような、日常から離れて心を整える大切な時間となった。
・時間に追われない。会社仕事をしている感覚とは、全くの別世界。
・8〜15時まで、ほぼ屋外。日差し・風・土を感じながらの作業。
・必ず団体行動。求められるのは、団体で行う丁寧な作業であり、効率さではない。
・作業中は、土の匂いを感じながら作業を繰り返す。マインドフルネス状態。
・宮内庁の担当者から教えられることの殆どが、初めて知ること。
(季節のこと、草木のこと、天皇陛下のこと、皇室のこと…全てが発見だらけ!)
皇居も赤坂御所も、生命力溢れる大きな大きな森だった。どっしりしていて、包容力があった。時間に追われ、何かに焦って、雑に物事をこなしてしまっていた私の日常とは、全く異なる世界のように感じた。
でも、ふと気づく。皇居と赤坂御所と私の日常に境界線なんてなく、同じ空間なのだと言う事実に。
結局、追われて・焦って・雑に生きてしまうのは、全て自分が決めたことだったんだなあ。
「ありがとう」の深さと、言葉を超えて伝わる「愛」
ボランティア活動の合間、幸運なことに、天皇陛下と美智子さまのご会釈をいただく機会があった。
そこまで近い距離でもないし、私自身が会話をすることもない。ただ、同じ空間に存在することになったという状況なのだが、その瞬間が訪れたときの不思議な体験は、一生忘れられないものとなった。
天皇陛下と美智子さまが現れたその瞬間、私は 緊張も思考も吹っ飛んだ。そして、全身で、お二人の愛情を感じて、とても心地の良い気持ちになった。
それは、ぽーっとしたまま包まれるような感覚。その時の私は、ありのままの私で、ただ存在しているだけ。
何かを意識したり、考えたりすることもなく…… 、ただただ無防備に包まれている感じ。まるで、赤ちゃんのような、丸裸のまんまに包まれている。
「ああ、私はとっても大切にされていて、とっても愛されている」というのが細胞全体で感じたし、超絶な安心感に包まれた瞬間だ。
そして、「ありがとう」という美智子さまのお言葉。「お元気で」という天皇陛下のお言葉。それぞれの言葉に、本当に想いが溢れているのが分かる。
心からそう願って発した言葉というのは、魂(細胞?)で伝わる。言葉を発する前に、波動(オーラ?)によって伝わる。
お二人は、常に国民のことを想っていらっしゃるから、その想いの深さ、愛情の深さがもの凄いのだ。
これまで受け取ったことのない、慈愛。これは、言葉では表現ができない。
今思い返しても、あの時の感覚は、本当に不思議なものだった。こんな気持ちになるなんて、想像もしていなかった。
今回涙を流すことはなかったけれど、次お会いするときは、もしかしたら泣いてしまうかもしれない。言葉には言い表すことができない不思議な感覚って、あるんだなあ。
ボランティアで得た 大きな「ギフト」
以上が、私の天皇皇后両陛下への想いが変化した出来事だ。
忙しい日常から離れ、自然と共に丁寧に生きることの喜びに触れ、大いなる慈愛を感じることのできたボランティア。
奉仕をするどころか、受け取ることの方が多かった4日間だった。
あれから約1年が経ち、もうすぐ平成が終わろうとしている。
これって、何かが変わると言うことなのだろうか?
いや、違う。元号は変われど、日々の営みは何も変わらず続いてゆくはず。だって、平成と令和の間に境界線なんてないのだから。
周りに流されず、何を愛し、何に感謝をして生きてゆくのかを決めるのは自分。元号が変われど、想う気持ちは変わらない。
あの体験は、そんな生き方のヒントを教えてくれたのかもしれない。
国民の幸せを常に祈ってくださる天皇陛下と美智子さまには、ありがとうの気持ちでいっぱいです。
そして、楽しみはつづく☺︎