「令和」に託された想いをキャンベルさんが教えてくれた
テレビ番組「スッキリ」に出演していたロバートキャンベルさんの「令和」に関する解説が素晴らしかった。その説明を聞き、わたしは「令和」の言葉がグッと好きになった。
調べてみると、朝日新聞デジタルにキャンベルさんの記事を発見。彼の「令和」を聞いた瞬間の想い、そして元号の持つ国を超えて共有される言葉の持つイメージいついて語られている。
これは、ぜひ記録しておきたい。
万葉集にある梅花の歌32首の序文
「初春の令月(れいげつ)にして気淑く風和ぎ(きよくかぜやわらぎ)
梅は鏡前(きょうぜん)の粉を披き(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす(かおらす)」
どんな情景で詠まれた歌なのかというと…… 、
梅花の歌32首は、大伴旅人が、太宰府の自邸に九州の役人を呼び、梅見の会を開いたときに詠まれた歌だ。序文にはその状況が書かれている。みんなが集まって、つらい冬を越え、暖かい春を感じた時の素直な気持ちを描いている。
この歌の解説は、こんな感じだ。
初春とは正月のことで、令月は春分の前後の良い月を意味している。気候は良く白梅が咲き誇り、蘭は高貴な人が身につける匂い袋のような香りを漂わせている。
この元号の成り立ちを、記事では次のように記載している。
梅の花は万葉集では120首ほどが題材として詠まれており、「中国で伝統的に歌われる情景だ」という。典拠となった序文は、詩文集「文選(もんぜん)」にある後漢の張衡(ちょうこう)の「帰田賦(きでんのふ)」を「カバー」した可能性があるとし、「後漢の時代の人々に思いを重ね、目の前にある景色を描いたのではないか」と指摘する。
例えば、 春が近づく良い季節、仲間たちと美しい梅を眺めているときに湧き上がった感情を、かつて共に学んだ中国の詩文集の一節に重ねて表現したのかもしれない。
なんて、ピースフルな情景だろう!
続いて、キャンベルさんは言う。
「国書か漢籍かということはどうでもよく、国を超えて共有される言葉の力、イメージを喚起する元号だ。元号が孤立しているものではなく、北東アジア文化圏で共有された情操の世界とつながる言葉だ」
そういえば「スッキリ」の中でも、キャンベルさんは次のようなコメントを残している。
「万葉集は日本のものだが、梅花の歌序文はそれより600年前、中国の張衡(ちょうこう)の帰田賦(きでんのふ)を元にした、時空を超えたオマージュ。中国の人の思いも取り込んでいると解釈したい。『日本のもの』と感じる必要はない」
さらに、万葉集についても次のように話す。
また、万葉集はのちの勅撰(ちょくせん)和歌集と違い、「詠み人の階層や地域性が多様で、人々の素直な声や思いを後の時代に記録している。世界に万葉集の素晴らしさを気付かせるきっかけになるという意味もうれしい」と歓迎した。
そうか、万葉集はダイバーシティ&インクルージョンが創り上げた歌集だったのか。そう思うと、「令和」の元号を不思議とグッと身近に感じられるのだ。
そして最後に、キャンベルさんが「令和」を初めて見たときの印象が語られている。
新元号が「令和」と聞いた瞬間には、「令」が使役の助動詞であることから、「和せしむ」と解釈したという。「平和になるよう仕向けようという、ポジティブな言葉だと思った。この解釈も胸にとっておきたい」と話した。
国民一人一人が、受け身ではなくて、自分たちで平和になるように行動する時代。そんな意味を持つ言葉だったんだ……!
とっても素敵じゃないですかっっ!!!
初めての言葉は、なかなか馴染まないものだけど、言葉の持つ意味をすることで、言葉に温かみが出てくる。
言葉に体温を感じると言うか、まるで、言葉に生命が宿るような感覚。
わたしの中では、キャンベルさんのおかげで「令和」という元号がちゃんと誕生できたのだ。言葉に託された意味を知り、共感するって、大事。
ありがとう、キャンベルさん。
万葉集は、今から1200年ほど前につくられた日本最古の歌集。
そこに詠まれている歌は、当時の誰かが感じた情景そのもの。わたしたちは、1200年の時を超えて、その歌に想いを馳せている訳だ。
ものすごい時空旅行。
でも、不思議と、季節や自然への感動や、大切な人への想いというのは共感できてしまったりもする。
もちろん、歌い手の本当の想いは分からないのだけど、時空を超えて心が通う瞬間ってあるんじゃないかなあ。
いま、わたしたちは、そんな時空旅行的な元号の時代へと移り変わろうとしている。
令和の時代を、心豊かなピースフルな時代にして行きたいな。
そして、楽しみはつづく☺︎