文月に想う、季節を感じる色好みなセンス
気がつけば、いつの間にか立秋も過ぎ去り、処暑の季節へと移り変わっていた。
立秋と言えば、こちらの歌。
秋立つ日、よめる秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
今年の立春(8/7)には この歌を感じよう、と手帳にメモをとっていたのに。
すっかり忘れていたことに今日(8/28)気づく。(残念すぎる、私)
気を取り直して、こちらの歌を詠むと、
目には見えない秋の気配を、風の音によって感じ取るという素敵な情景が見えてくる。
視覚ではなく、聴覚で季節を感じるなんて。とっても粋な表現。
こんな歌を詠む藤原敏行ってどんなひと?と調べてみたら
こちらのサイトによると、「色好みな方」だった様子(納得です)
平安時代初期、藤原氏の中では初めての優れた歌人で、三十六歌仙にも数えられました。能書家としても名高い人です。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では色好みの男として描かれます。当時の色好みとは、風流な人、粋な人をさして使う言葉です。
http://www.geocities.jp/saint_flwer/poem/waka/akikinuto.html
季節のちょっとした変化を感じ取って、言葉にするって素敵。
きっと、藤原敏行も素敵なひとだったに違いない。
今日は、せっかくなので、この時期を表す「色好み」な言葉をいくつか記録しておく。
秋の訪れを歌にする
まずは、こちら。
夏と秋と 行きかふ空の 通ひ路は かたへすずしき 風や吹くらむ
(なつとあきと ゆきかうそらの かよいじは かたえすずしき かぜやふくらん)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)/古今和歌集
夏と秋が、空の通路ですれ違うなんて。おもしろい表現。
夏が去り、秋が訪れる移ろいを、上空の雲の動きで感じ取っているのかしら。
藤原敏行と同じく、秋を感じるのは、やはり「風」。
秋の涼しさ、冷たさ、季節の移ろいを感じるには、やはり風を肌に感じるというのが、一番わかりやすいのかもしれない。
つづいては、こちら。
君待つと わが恋ひ居れば わがやどの 簾うごかし 秋の風吹く
(きみまつと あがこひをれば わがやどの すだれうごかし あきのかぜふく)
額田王(ぬかたのおおきみ)/万葉集
大切なひとが自分のもとに帰ってくるのを待ち焦がれていたときに、秋風がいたずらに簾を動かす。彼がやってきたのかしら、と期待をしてしまう女性の心境を詠ったもの。
彼ではなく風の仕業だった、と気づいたときのせつない想いと、夏が終わり秋に移ろうせつなさが重なって、たまらない。
いつの時代も、大切なひとを待つ心境というのは、変わらないのだ。
そしてここでも、秋の「風」が登場する。
せつなさを表す、夏の終わりの秋の風。そういう感性もまた、変わらないのだ。
季節の情景を表す言葉たち
四季のある日本において、季節感のある言葉はたくさんあるけれど、
自分が季節を感じた情景を、ドンピシャに表す言葉に出会ったときの幸福感と言うのは、本当にたまらなく最高なものだ。
- 蝉時雨(せみしぐれ)
たくさんの蝉が一斉に、時雨が降りつけてきたかのように大音量で鳴き響くこと。
夏の日に、ミーンミーンと蝉の大合唱に出会ったときに使いたい言葉。
- 薫風(くんぷう)
夏の南風。初夏、新緑の木々の間から吹いてくる風に、夏の香りを感じたときに使いたい言葉。
- 秋隣(あきとなり)
秋の気配を近くに感じるという夏の季語。
暑い毎日が続いているなかでも「朝晩は、涼しくなってきたかもなあ」って感じたときに使いたい言葉。
- 野分(のわき)
台風などに伴う、暴風のこと。
歩くのも大変な台風の日に吹く風は、野を分け、草木を吹き分ける荒々しい風という意味で、野分と表す。暴風で大変なときこそ、思い出したい言葉。
いずれも、この夏にわたしが体感した情景たち。
そんな情景に、言葉があるということは、過去の誰かがその情景に何かしらの意味を感じとったと言う証拠。
スルーしないで、素敵な言葉を与える。そんな、昔の方のセンスがたまりません。
昔の誰かが「いいな」って思った情景を、わたしも「いいな」って思ったり、
昔の誰かが何かしらの意味を感じた情景を、わたしも特別な思いで感じたり。
昔の人と、自分の感覚がシンクロするとき、嬉しさと幸せを感じてしまう。
そうだった、そうだった。
わたしは、その瞬間が、とっても大好きで、とっても幸せな気持ちになるのだった。
忙しい毎日が続いたとしても、この感覚とともに過ごせますように。
楽しみはつづく☺︎