宮家と公家の世界をちょっと覗いてみた
早起きをして、文京区にある肥後細川庭園へ向かう。青い空に生命力溢れる緑。とても美しく、空気が良い。
月に1度の日本伝統文化継承者協会 Genuine Japanの講座の日。
会場が、細川庭園にある松聲閣(しょうせいかく)とのことで、久しぶりに庭園も楽しむことができた。
今月の講座テーマは「宮家・公家」。今回もまた、新しい発見ばかりの貴重な回となった。
中臣鎌足を祖とする「近衛家」って何者?
宮家とは皇族、公家とは天皇の側に仕えて政治・儀式を行なっていた貴族。そんな「宮家・公家」をテーマとする講座の講師 近衞 忠大(このえ ただひろ)さん。
この人、一体どんな人なの?
講師:五摂家 筆頭近衞家 宮中歌会始講師 近衞 忠大
・五摂家(ごせっけ)
中臣鎌足(藤原鎌足)を祖とする、摂政や関白を任せられる5つの家柄。近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家。
・筆頭 近衛家
藤原忠通の嫡流(ちゃくりゅう)を継いでいるため、五摂家での筆頭は近衛家を指す。
そんな家柄に生まれた忠大さんのご家族は、こんな感じ。
曾おじいちゃんが、近衛文麿さん(第34、38、39代内閣総理大臣)で、叔父さんが、細川護熙さん(第79代内閣総理大臣)。母方の祖父は、三笠宮崇仁(みかさのみやたかひと)親王。お父さんが、近衛家当主 近衞忠輝さんで、日本赤十字社の社長。
なんて、ゴージャスなの!!!
ここで注目すべきポイントは、「公家(藤原氏)」だけでなく、「大名(細川家)」と「皇室(三笠宮家)」も組み合わさった、超ハイブリット家系であること!(ひょえー!)
詳細はこちらの系図を参照↓
「宮家・公家」をテーマとして語るに相応しい方なのが良くわかる。
ここから、ようやくご本人の紹介へ。
その職業は、まさかのクリエティブディレクターでした(驚)
テレビ局でディレクターとして番組制作に関わった後、ファッションブランドのイベント制作にも従事。2004年にクリエイティブ・エージェンシー設立に参加し、映像・イベントにとどまらないクリエイティブ・ディレクターとして、また時にコーディネーターとして様々な国際的なプロジェクトにも参加している。
放送、ファッション、エンターテイメント業界で実績を積む一方で、日本文化の紹介や、庇護(ひご)というライフワークを持っている。中臣鎌足以降、日本文化と寄り添い存続してきた近衞家の次期当主として生まれながら、海外文化に囲まれて育ったという特異な境遇を利用し、独自の視点から日本文化を見つめ直している。
また宮中歌会始にて講師(こうじ=和歌の読み手)を勤める。
背も高く、彫りの深いお顔に、ジーンズにジャケットといういで立ち。お洒落なジェントルマンな雰囲気をお持ちの忠大さん。
「公家は、当時 朝廷で政治を行っていました。当時の政治は、祭祀や儀式をすること。おそらく公家は、その運営を取り仕切っていたのだと考えられます。わたしがやっているファッションブランドのイベント運営と近かったかもしれません。」
なんとも、ウィットに富んだ表現。
幼少期は、スイスで過ごされ英語・フランス語も話せるトリリンガルでもある。グローバルと日本伝統文化の両方の理解と言語を操る、類い稀なクリエイティブディレクターだ。
それにしても、、、
自己紹介に、中臣鎌足(飛鳥時代だし 笑)まで遡って説明が必要なお家柄ってすごいわ〜。
華族制度と公家の ”いま”
「知り合いの公家は、サラリーマンをしています。」
と、忠大さん。
現代では、公家だからと言って特権があるわけではない。サラリーマンをしながら、文化財団の理事などにボランティアで関わっている方も多いのだそう。
公家社会は、江戸時代までは存在していた。しかし、明治になって、士農工商をベースとした身分制度は終わり、新しい身分制度「華族」が生まれる。
・華族制度
明治17年に、伊東浩史により華族令として定められる。公家・大名に加え、国家に尽力した軍人・役人も含めて「華族」とし、西洋の制度に習って公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の五つ階級を定めた。
・華族の対象
公家137家
諸侯(大名など)270家
明治維新後に公家となった家5家
維新後に諸侯となった家15家
合計427家
「これまで、異なる世界に生きてきた公家と大名が交わる、というのは、かなり違和感があったと思います。」
華族制度の一環で学習院が作られ、華族の子供たちの入学が必須となった。子供の頃から同じ教育をする、同じ環境で育てるということで、元々の身分による溝を埋めて、志の統一を図ったのだろう。
その他にも、華族は帰属議員になる義務を負ったり、膨大な資金の90%を税金として支払わないといけなかったり、世間からはスキャンダルが注目されたりと、色々な縛りや生きづらさあったようだ。
そして、昭和22年、日本国憲法の施行と共に華族制度は終わりを迎えた。
宮中歌会始(きゅうちゅううたかいはじめ)裏話
続いて、忠大さんの肩書きの最後にあった、こちらのお話。
宮中歌会始にて講師(こうじ=和歌の読み手)を勤める。
宮中の話の前に、そもそもの歌会について調べておく。
歌会とは、平安時代の公家たちの遊びから始まったもの。当時、歌を詠みあって競い合う「歌合せ」というのがあったそう。紅白歌合戦の起源って、平安時代なのかもしれません。
当時の公家たちの歌会を再現した動画がある。この公家スタイルの左側の人、実は 近衞忠大さん。このような格好で、歌会を取り仕切るリーダー(講師/こうじ)を担っている。
では、宮中歌会始とは一体なんなのか。
人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。
天皇がお催しになる歌会を「
歌御会 」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会 が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始 」といいました。歌会始 - 宮内庁より
ふむふむ。
宮中で毎月やっているなんて思わなかった。歌というのは、短歌なのだけど、昔から短歌って本当にみんなを魅了して来たのだなあ、なんて改めて驚く。
この宮中で行われる歌会には、一般人も参加することができる。応募して選ばれれば、当日参加ができるようだ。
忠大さんに教わった、面白いルールを紹介する。
●歌会始には、共通した漢字一文字を短歌へ盛り込むというお題がある。今年は「語」であった。来年は「光」らしい。
●歌を詠むのは本人ではなく、宮内庁の役回りの人が代行する。忠大さんが担う講師(こうじ)がその役割。
これは、詠み方の上手い下手で判断せず、フラットに歌を感じるためらしい。詠み方も、独特な文字の伸ばし方、リズムを取るのが特徴的。
●歌を提出する時は、本人が毛筆で歌を書いて提出するらしい。
余談だが、天皇陛下や美智子さまも毛筆で書く。写真を見たが、天皇陛下の文字はどっしりと大らかな文字だし、美智子さまのくずし字も大変美しかった。
筆跡には人間性が表れる。丁寧に綺麗に文字を書けるって素晴らしい。憧れるなあ〜。
●男性は、文字に書くときに、最後の3音を当て字(漢字)にする。最後が漢字であっても、わざわざ平仮名に変更のうえ、別の漢字を当てるらしい。
忠大さんは、実際の毛筆で書かれた歌の写真を見せてくれたが、男性のものは当て字になっていた。しかし、不思議なことに、ネット上に掲載されてる歌は、当て字ではなくなっているし、宮内庁HPにもwikiにも、このルールに関する表記は特になかった。
(講師が詠む原本だけのルールなのかな?詳細は不明)
ハイブリッドなクリエイティブディレクターから見た日本
忠大さんのお話は、わたしの日常とかけ離れた話が多く、すべてが楽しく興味深いものであった。
でも、1番心に残ったのはこの言葉。
「いまの日本人は、日本の『美』を覚えてはいるけど、自覚的に考えることを忘れてる」
それは、クリエイティブディレクターとして、海外から日本がどう見られているかを常に考えている忠大さんならではの視点。
「日本は、世界からクリエイティブだと思われている。しかし、日本人自身はそう思っていないというデータがある。わたしたちは、本当の日本をどれだけわかっているのか」
昔ながらの素晴らしい芸術が、日本のあちこちに残っていることに、もっと目を向けよう。
自国の文化を知る努力をしよう。
そして、どう伝えるのか、どう世界に発信するのかを自覚的に考えよう。
ああ、確かに。
日本の伝統文化を学ぶことは、自分の知的好奇心を満たすためだけなのか。いや、そうではない。
日本が考える本当の『美』を受け継いで、未来に繋げていくためだ。
さて、その実現に向けて、わたしは何をしようか。
最初はミーハー心満々で聴いていた今回のテーマであったけれど、宮家と公家の世界を覗いた先にあったのは、日本の未来のために自覚的に動くための「後押し」だった。
忠大さん、大きな気づきをありがとう。
楽しみはつづく☺︎