ブラレイコ

ブラっと訪れた人生の寄り道からの学びを、ゆるふわに綴る場所

小笠原家から学ぶ、真の礼法

歴史を超えて受け継がれるものには、必ず「意味」がある。

先日伺った、小笠原流三十一世宗家嫡男(ちゃくなん)小笠原清基(きよもと)さんのお話を聴きながら、そんなことを思った。

昨年に続き、Genuine Japan と言うプログラムを受講することに決めた。これは、日本伝統文化を広く体系的に学ぶには大変効率の良いプログラムだと思う。

www.genuine-japan.jp

4/13に今期の初回講座があり、その講師を務めたのが小笠原清基さんであった。

彼は、Genuine Japanを主催する一般社団法人日本伝統文化継承者協会の代表理事をしている。自身が継承する弓術・弓馬術・礼法に限らず、日本の伝統文化全般の普及活動をされている。

昨年は、清基さんのお父様にあたる小笠原流三十一世宗家 小笠原 清忠さんの礼法「折り方」のプログラムにも参加した。(その時のブログがこちら小笠原流「折り方」が教えてくれた日本の心 - ブラレイコ
当時も鎌倉時代から続く小笠原流の歴史にも少し触れてはいたのだが、今回の清基氏の話は、概念的であり、わたしの興味関心を掻き立てるものだった。

 

小笠原家の始まりは、将軍家のマナー師範

小笠原家の歴史は、鎌倉時代に遡る。小笠原家 初代 長清(ながきよ)にはじまる清和源氏(せいわげんじ)の家系であり、第56代清和天皇から別れた氏族である。この初代 長清は、二十六歳の時に源頼朝の糾方師範(きゅうほうしはん ※)となった。その後、江戸幕府崩壊まで将軍家の師範を務め、礼法・弓術・弓馬術を伝えてきたのが、小笠原家である。

※「糾方」は、弓法とも書かれ、弓と馬を意味するらしい。これに礼法を加えて「弓・馬・礼」の三法をもって糾方(糾法)と定められている。

f:id:reicoouchi:20180422183408j:image

▲こちらの写真にある通り、小笠原家は

  • 家系が良い
  • 公家文化への知見がある
  • 弓馬の道に長けていた

といった理由から、上級武士に求められる礼法・弓術・弓馬術を指南するにはピッタリの家柄であったとされる。

 

現代の小笠原家に大きな影響を及ぼすのは、二十八代 清務(せいむ)である。江戸から明治の時代を生きた清務は、ある一つの家訓を決めるのであった。

それは、「小笠原流の流儀を教えることで生計を立てることを禁ずる」ということだった。

生活のために流儀を教えると、弟子を増やそうと無理や妥協が生じると考えてのことでした。(小笠原流八百有余年の道統より)

武士の世が終わり、明治の時代になったときに、正しい小笠原流の継承を考えたゆえの判断だったのだろう。

現代もこの家訓は守れている。今回お話いただいた三十一世宗家嫡男 清基さんも、製薬会社の研究者をやりながら、日々小笠原流礼法の普及活動をしているのだ。

 

唯一の正解はないからこそ、本質を知ることに意味がある

ここからは、清基さんが講演の中でお話されていた内容をもとに紹介していく。

彼は、日本伝統文化を普及している理由として次のように語ってる。

「雑多なものが多い世の中で、正しい日本伝統文化の情報を知るのは難しい。だから、一般社団法人日本伝統文化継承者協会から正しい情報をお伝えるすることを始めたんです」

いまの時代、検索すれば何かしらの解が返ってくるのだが、これが本当に正しいのかどうかの判断つかない。

「礼法と一言で言っても、流派は様々です。唯一の正解はあり得ません」とも言う。

だったら、一体何を正しいと判断すればよいのでしょう?

「まず、何をしたいのかをしっかり理解することです」と言う。

例えば、戦うことを目的とする武家の帯の巻き方は、商人の帯の巻き方とは異なるのだそうだ。帯ひとつとっても、戦うために理に適ったやり方を選択しているという事なのだ。

なるほど、武士の礼法を理解するには、そもそもの武士の存在意義を正しく理解することが重要のようだ。

武士は戦いに勝つことが求められる。だから、隙のない動きや襲い掛かられない姿勢が必要であり、動きの無駄を徹底的に省いていく。それが型となり、礼法となる。それらを極めた時に、美しさが結果として残るのだそう。

この「無駄を省いた結果、醸し出される美しさ」と言う表現。お話の中で数回登場していたので、礼法を語るうえで大切なものなのだろう。

さらに、武士の礼法を一概に説明するのも難しいようだ。なぜなら、下級武士と上級武士ではその役割の違いから「何をしたいのか」が変わってくるのだそう。だから、弓術などの型も変わってくるらしい。

当時の武士たちは、自分たちの役割に見合った「礼法」を持っていた。そのうえで、敬う相手の礼法も身につけていたのだ。

つまりそれは、参勤交代のときは徳川家の礼法に従い、田舎に帰れば自分たちの礼法に従う、みたいな。

ボスを重んじる社会的マナーに繋がるのだ。

 

礼法は戦うためだけにあるものではない

十七条の憲法のなかに、以下の文章がある。

四曰。群卿百寮。以礼為本。其治民之本。要在乎礼。上不礼而下非齊。下無礼以必有罪。是以群臣有礼。位次不乱。百姓有礼。国家自治。

====読み下ろし====
四に曰わく、群卿百寮(ぐんけいひゃくりょう)、礼をもって本(もと)とせよ。それ民(たみ)を治むるの本は、かならず礼にあり。上礼なきときは、下(しも)斉(ととの)わず、下礼なきときはもって必ず罪あり。ここをもって、群臣礼あるときは位次(いじ)乱れず、百姓(ひゃくせい)礼あるときは国家自(おのずか)ら治(おさ)まる。

 

現代語訳をつけると、こんな感じ。

四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。

人の上に立つときに必要なもの、それが礼法なのだ。だから、代々将軍家は礼法の師範をつけてまで、それを身につけようとしたのだ。

いただいた冊子に次のような記載がった。

小笠原流の礼法は、枝葉末節にこだわる形式的なものではありません。相手のことを考え、臨機応変に対応し、無駄を省いた中に美しさを求めることを大切にしています」

ああ〜、相手のことをまず考えるという点は、よく分かる。前回「小笠原流 折り方」を学んだときに、家元も同じことを仰っていたし、そのように説明を受けると礼法の意味もすんなり理解ができる。

いまの時代にも、礼法の考え方はきっと生きるだろうなぁ。

 

ご指導受けたマナーの数々

今回は、Genuine Japanの初回でのお話であった。今後、1年間に渡り、様々な超一流の先生方(何代も続く家元など)の講義が続いていく。

それに伴って(?)なのか、清基さんが受講者へ教えてくれたマナーを自分自身のためにメモをしておこう。

  • コートは建物の外で脱ぐ
    日本家屋は、靴を脱いで上がることが前提。家屋を大切に使い長持ちをさせるために、上着を外で脱ぎ、外の砂ボコリなどは極力外で払ってから入りましょう。
  • 建物の中では、裸足ではなく靴下を履く
    こちらも、家屋を大切に長持ちさせるために、足の裏から出る油(?)を直接触れさせないよう、靴下を履きましょう。
  • 上がり框(あがりかまち)や敷居は踏まない
    上がり框とは、玄関と廊下の段差の淵の部分。この上がり框が壊れると、修理をするのが大変であるため大切に使うと言う意味で踏まないように、との事。
    敷居も同じ考え方であり、敷居がすり減ると家屋自体が歪む恐れがあるようだ。そのため、大切に使うと言う意味で敷居を踏まないようにしましょう。

ふむふむ。清基さんの説明の分かりやすい理由は、なぜならば〜を毎回教えてくれる点にある。すべてに理由があるから、腹落ちもします。

 

昨年の私は、これらの基本的なマナーを全く気に止めず。裸足で家屋に入り、講義を受けておりました。(そう言えば、他の人は皆靴下やストッキングだったと記憶しており、恥ずかしい限り…… )今回の清基さんのお話を受け、今期は礼を持って場に臨もうと心改めました。

 

何はともあれ、やはり 昔から言われていることには、意味(理由)があるのですね。本質をしっかりと理解していれば、守るべき言い伝えなのか、現代に合わせて変化させるべきものなのか、の判断もつきます。

きっと、清基さんが継承したい伝統文化というのは、上部の「型」や「側」ではなく、本質的な「意味」の理解なんだろうな、と思うのです。

 

これから始まる、Genuine Japanの講義を通じて、どれだけ本質を理解できるかな。今から楽しみ〜。

 

楽しみはつづく☺︎