届け!勘三郎さんへ「中村勘三郎七回忌追善」での歌舞伎体験
生きているうちに、いかに優れた文化を体感するか。それが、人生に彩りをつける1つの方法なのだと思う。
この、「生きてるうちに」には、2つの意味があって、
1つは自分自身が生きているという意味。もう1つは、文化提供者が生きているという意味。
とくに後者は意識をする必要がある。なぜなら、素晴らしい文化人は自分よりも年上が圧倒的に多いから。
この考えに至ったのは、中村勘三郎さんが亡くなったのがキッカケ。
「いつか勘三郎さんの歌舞伎を観に行こう」と本気で思ってたのに、結局叶わなかった。こんなに早く亡くなるなんて、想像もしなかった。
同じ時代に生きていたのに、その素晴らしい演技を生で観ずに終わってしまった後悔は大きかった。
先日、素敵なご縁をいただき、芸術祭 十月大歌舞伎 中村勘三郎七回忌追善を観ることができた。
そこで味わったのは、役者たちから勘三郎さんへの、溢れんばかりの愛と感謝。それは、舞台を越えて客席を包み、私たちの目頭を熱くした。
この感動は、きっと一生忘れない。
これはもう、愛しかない配役
今回、わたしが観たのは、夜の部。
片岡仁左衛門さん、坂東玉三郎さんを筆頭に、勘九郎さん、七之助さん、歌六さん、彌十郎さん、巳之助さんなどなど、豪華な役者たちが出演。
とくに、「義経千本桜 吉野山」と「助六」の2つの演目は、勘三郎さん追善公演ならではの配役であり、裏には温かいストーリーが見えた。
静御前を玉三郎さん、狐忠信を勘九郎さんが演じる。勘九郎さんは、役を演じるにあたり次のように話していた。
『吉野山』は十七世勘三郎の追善で、「父が(六世)歌右衛門のおじ様と踊った思い出をよく話してくれました。それを、大恩ある玉三郎のおじ様と踊る、幸せです。
劇中、静御前と狐忠信が、ともに舞うシーンがある。そのなかの有名な決めポーズ、女雛男雛の絵模様の二人の姿が、とても印象的。
玉三郎さんが、勘九郎さんの未来を後押ししているような、厳しくも愛のあるエールのような。そんな温かい気持ちにさせられる瞬間だった。
●助六 曲輪初花桜(くるわのはつざくら)
仁左衛門さんのインタビュー記事を読み、この役への特別な想いに触れる。
昭和58(1983)年3月歌舞伎座で初めて演じた助六。「十七代目のおじ様(勘三郎)に教えていただいたんです」。2度目(平成3年3月歌舞伎座)のときは、「十八代目(勘三郎)が白酒売に出てくれました。自分も助六をやりたい、やるときには兄ちゃん教えてよ、と。東京の人に教わるほうが、と言ったら、僕は兄ちゃんに教えてほしいって。それが実現できなかった残念さ」。果たせなかった思いをつないでいくため、十八世勘三郎追善で勘九郎、七之助と同じ舞台で助六を演じます。仁左衛門が語る『助六曲輪初花桜』 | 歌舞伎美人(かぶきびと)
あぁ、こんな想いで仁左衛門さんは助六を演じるのか。と心に沁み入り、追善公演の特別感を改めて味わう。
さらに、今回の「助六」の配役もすごい。
まず、助六の相手役 揚巻を演じるのは、七之助さん。(仁左衛門さんの相手が玉三郎さんでなく、七之助さん!)
助六の兄役 白酒売を演じるのは、勘九郎さん。(かなり年下の兄役!)
そして、助六も白酒売の母親役は、玉三郎さん。(脇を固めてくれるのだなあ!)
そう、この配役は、もう愛でしかない。それ以外に説明はつかないのだ。
彌十郎さん、想いを言葉にしてくれてありがとう
これはネタバレ的になってしまうので、詳しくは言えないのだけど、今回 彌十郎さんの演じる通人里暁は、「過去」と「いま」、「親」と「子」、「舞台役者」と「観客」を繋いでくれる重要な人物であったのは間違いない。
彌十郎さんが素敵な台詞とともに花道から去る
ーーー その瞬間、
勘三郎さんへの感謝、忘れ形見である勘九郎さんと七之助さんへの愛、そういった温かい想いが、ワッと弾けた。
追善公演とは、こういうスペシャルな空間なんだ。その本当の意味を知り、自然と涙が溢れてきた。
歌舞伎役者が受け継ぐものとは
歌舞伎は伝統芸能であり、一つ一つの型がある。役者たちは、その型を受け継ぎ、自分のものにしていく。
しかし、今回の舞台を観て、型を受け継ぐという表現に少しだけ感じた違和感。
なんか、受け継ぐものは、型だけではないのかな、と思えてきた。それはもっと、ヒューマニスティックな役者同士の絆やリスペクトや愛…… みたいなもので、その想いを丸ごと受け継いでいるのかもしれない。
歌舞伎の世界って、深い……深いなあ。
役者さんの過去から受け継いだ見えない想いも含めて、応援していきたいなって思えた。それが歌舞伎の楽しみ方なのかもなぁ。
勘三郎さん、素晴らしい歌舞伎の魅力を教えてくれてありがとうございます!
そして、楽しみはつづく☺︎
大地の芸術祭で、人はより人間らしくなる
新潟の自然はワイルドで、深くて、どこか懐かしい。
先日のこと、新潟県十日町で開催された「大地の芸術祭」へ行ってきた。芸術祭は、昨年の奥能登で開催されたものから2回目。新潟の芸術祭には、初参加だ。
稲刈りを待つ稲穂が、美しいこの季節。わたしたちは、新潟の地で、日本人のDNAを存分に感じることができた。
芸術祭をする意味とは
その土地を知る方法は いくらでもある訳だけど、外から来た人間が、その土地を理解して住む人との接点を作るというのは、なかなか難しい。
特に過疎が進んでいる地域は、高齢者も多く閉鎖的になりがちだし、環境スポットや商売やっている人でもない限りは、土地をPRすることもないだろうし。
そんな中に、あえてアート作品を送り込むことで、新しい化学反応をつくろうと考えたのが、芸術祭だ。
アーティストは他者の土地にものをつくらねばならず、地域とのコミュニケーションが欠かせません。やがてアーティストの熱意が伝わり、住民は協働者として作品に関わり始めました。また、都会から多くの若者がボランティアに参加し、「過疎地の・農業をやってきた・お年寄り」と「都市で・何をやっているかわからない・学生」との出会いは、衝突・困惑から理解・協働へと変化していきました。
普段出会わないもの同士が出会うことは、とってもストレスフルだと思うけれど。向き合って、ぶつかって、打ち解けたとき、新しい”何か”が生まれるに違いない。
そして、わたしたち来訪者は、その”何か”を、アート作品から、その土地の人たちから、ボランティアスタッフから、感じることができるのだ。
簡単ではない融合であるからこそ、芸術祭はわたしたちを魅了させる。
そこにあるストーリーに触れ、教えられる
「この棚田は、ずっと一人のおじいさんが管理をしていたものなんだ。
急斜面の雑草を刈ったり、田を耕したり、手入れを一人でやっていたけど、高齢にともなって棚田を手放すことを決めたんだ」
その「棚田」は、まつだい農舞台といって、芸術祭の代表的なスポットの1つにあるアート作品だ。
新潟の美しい棚田に、伝統的な稲作の情景を詠んだテキストと、対岸の棚田で作業する人々をかたどった彫刻を配置された、このアート作品。
何も知らずに見ても、四季折々の棚田の情景を彷彿とさせるのだけれど、それだけだと足りていないストーリーがある。
この棚田は、アート作品の以前に「一人のおじいさんの棚田」という事実。おじいさんは、作品を作ろうとしていた訳ではない。自分の生活の一部として、この棚田を耕していた。
今年、この棚田をアート作品にすることをオファーしたとき、おじいさんはすぐには承諾をしなかったそうだ。
自分が作り上げて来た棚田に対する、色々な想いがあったのだろう。
そんなおじいさんを想像しながら、アート作品を改めて見てみる。あの彫刻は、移りゆく季節のなかで、棚田を向き合っていたおじいさんの姿なのかもしれない。
見ず知らずの(顔すら知らない)おじいさんのことを想いながら見る「棚田」から、わたしたちは沢山の感謝を想う。
棚田を守ってくれていたおじいさんへの感謝、
農作物を作ってくださっている農家の皆さんへの感謝、
この芸術祭を支えてくれている地元の皆さん、スタッフの皆さんへの感謝。
アート作品の背景にあるストーリーに触れるだけで、目の前の景色に違った想いが湧き上がる。それもまた、芸術祭のおもしろ味なのかもしれない。
初めての土地に懐かしさを感じる不思議
この地にやって来るのは、全くのはじめてなのだけど。そこで見る風景に、なぜか懐かしさを感じてしまうのは何故だろう。
山に囲まれた美しい田んぼ道、どこまでも広がるブナ林、木造建築の小学校…… それらは、生まれてはじめて訪れた場所なのに。
どこか懐かしく、落ち着く。
こういう景色を「原風景」というらしい。
原風景(げんふうけい)は、人の心の奥にある原初の風景。懐かしさの感情を伴うことが多い。また実在する風景であるよりは、心象風景である場合もある。個人のものの考え方や感じ方に大きな影響を及ぼすことがある。
わたしの記憶のなかに、これらの風景が刻み込まれていたということ。
わたしが実際通っていた小学校なんて、木造どころか、コンクリート打ちっぱなしの最新小学校だったのにも関わらず、だ(笑)
子供のころの記憶のなかで、どこかで日本の風景のイメージをつくっていたのだなあ、と気づかされる。
なんだ、ちゃんと染み付いてるじゃん、日本人のDNA。
そう思った途端、うれしい気持ちが湧き上がる。
無意識の意識が、表出した瞬間。わたしたちは、自分の内側から自国への愛情を感じることができた。
芸術祭は、人間を人間らしくする1つのアプローチ
最後に、大地の芸術祭で出会ったアート作品の数々の写真を。
芸術祭として開催をするのは3年に1回ではあるけれど、作品たちの一部は撤去せずにそのまま残される。
この土地は、芸術祭をキッカケに、アート作品を受け入れ、アート作品とともに暮らす選択をしたのだ。
閉鎖的な土地に、あえてアート作品を融合させる。それによって、日常では出逢わない人たちが交差する。
もちろん大変なこともたくさんあるのだろうけれど、ポジティブな変化も訪れる。
地元の皆さんや関わりあった人たちの、活力や、笑顔や、誇りが生まれるのだ。
芸術祭、それは極めて人間的なアプローチ。
世代・地域・ジャンルを超えて、わたしたちの奥底にある感覚に刺激を与える。
閉ざされた、個々の日常では起こりえないことが、芸術祭というプラットフォームの上では起こり得るのだ。
今回、わたしたちは、総勢17名で芸術祭へ出向き、新しい繋がりが生まれた。
芸術祭の、その一部となったのだ。
これは癖になる。また、行こう〜っと。
楽しみはつづく☺︎
「日日是好日」から学んだ、生き方のヒント
本は、時に、人生にとって とてもたいせつな事を教えてくれる。
この、森下典子さんの「日日是好日」は、生き方のヒントを教えてくれた特別な一冊だ。
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数年前、どこを目指せばいいのかがわからず不安と焦りいっぱいのわたしに、斜に構えずに空っぽになって良いのだと、優しく教えてくれた。
続きを読む文月に想う、季節を感じる色好みなセンス
気がつけば、いつの間にか立秋も過ぎ去り、処暑の季節へと移り変わっていた。
立秋と言えば、こちらの歌。
秋立つ日、よめる秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
今年の立春(8/7)には この歌を感じよう、と手帳にメモをとっていたのに。
すっかり忘れていたことに今日(8/28)気づく。(残念すぎる、私)
気を取り直して、こちらの歌を詠むと、
目には見えない秋の気配を、風の音によって感じ取るという素敵な情景が見えてくる。
視覚ではなく、聴覚で季節を感じるなんて。とっても粋な表現。
こんな歌を詠む藤原敏行ってどんなひと?と調べてみたら
こちらのサイトによると、「色好みな方」だった様子(納得です)
平安時代初期、藤原氏の中では初めての優れた歌人で、三十六歌仙にも数えられました。能書家としても名高い人です。『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では色好みの男として描かれます。当時の色好みとは、風流な人、粋な人をさして使う言葉です。
http://www.geocities.jp/saint_flwer/poem/waka/akikinuto.html
季節のちょっとした変化を感じ取って、言葉にするって素敵。
きっと、藤原敏行も素敵なひとだったに違いない。
今日は、せっかくなので、この時期を表す「色好み」な言葉をいくつか記録しておく。
伊勢神宮の森に教えられる、古の智恵
この1ヶ月ちょっと、ブログ更新は滞ってしまったけれど
日本の自然、精神、文化…… など数々体感する機会をいただけた実りある月であった。
今回は、6月に伊勢神宮を訪れて感じたこと、神宮の近くのカフェで購入した「伊勢神宮の智恵」から学び得たことを中心に、つらつらと書き留めておく。
The Wisdom of Ise Jingu 伊勢神宮の智恵
- 作者: 河合真如,宮澤正明,Mike Gutierrez(翻訳)
- 出版社/メーカー: サラ企画
- 発売日: 2016/04/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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宮家と公家の世界をちょっと覗いてみた
早起きをして、文京区にある肥後細川庭園へ向かう。青い空に生命力溢れる緑。とても美しく、空気が良い。
月に1度の日本伝統文化継承者協会 Genuine Japanの講座の日。
会場が、細川庭園にある松聲閣(しょうせいかく)とのことで、久しぶりに庭園も楽しむことができた。
今月の講座テーマは「宮家・公家」。今回もまた、新しい発見ばかりの貴重な回となった。
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