ブラレイコ

2020年東京オリンピックまでに知っておきたい日本の魅力をマイペースにゆる〜く記録☺︎

心の向いた先には「平常心是道」

先日のこと、虎屋赤坂ギャラリーにて出逢った言葉。

紀元前から中国で使われている篆書体(てんしょたい)で書かれた「華風月雪」という作品。

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このギャラリーは、とらや商品パッケージを担当されている古郡達郎さんの書を展示したもの。

虎屋 赤坂ギャラリー「とことわの書―自然のことば―」開催のお知らせ | とらやの和菓子|株式会社 虎屋

ギャラリーの中心に飾られていたのが、写真の四つの漢字だった。

篆書体で書かれた、一文字一文字の迫力はもちろん、この四つの漢字の元となっている歌に惹かれた。

心に止まる言葉というは、その時の自分に必要なものだと思うので、その意味と背景を理解すべく調べてみることにした。

 

 

行き着いた先は…まさかの禅書「無門関」

その歌が、こちら。

「春に百花あり 秋に月あり 夏に涼風あり 冬に雪あり

もし、閑事の心頭にかくる無くんば すなわちこれ 人間の好時節」

春に花が咲き、秋には明月が天に輝く、暑い夏には涼しい風が吹き、冬には雪がさえざえしている。

もし、つまらぬことに心を煩わすことなく過ごせれば、毎日が幸せなことである。

 

この言葉の出所は、中国宋代の禅僧、無門慧海(むもんえかい)の書いた禅書 無門関(むもんかん)というものだった。

無門関を調べてみたが、たいへん難しく…、最初から読もうとは思わないタイプの本。こう言った出逢いがなければ、手に取ることはなかっただろう。

構成としては、1から48に分かれており、それぞれに

・「本則」(禅宗公案や仏教の故事を紹介)

・「評唱」(無門慧海の解説)

・「頌(しょう)」(詩経、詩)

が付けられている。

 

今回わたしが出逢った言葉は、無門関の十九則の頌に書かれていたものであった。

参考:無門関:その1

 

 

平常心是道(びょうじょうしんこれどう)という教え

せっかくなので、十九則だけでも読んでみる。

本則:

南泉(なんせん)、因みに趙州問う、「如何なるか是れ道?」

泉曰く、「平常心(びょうじょうしん)是れ道」。

州云く、「還(かえ)って趣向(しゅこう)すべきや?」 

泉曰く、「向わんと擬(ぎ)すれば即ち乖(そむ)く」。

州云く、「擬せずれば、争(いか)でか是れ道なることを知らん」。

泉曰く、「道は知にも属せず、不知にも属せず。

知は是れ妄覚(もうかく)、不知は是れ無記(むき)。

若し真に不疑の道に達せば、猶お太虚の廓(然(かくねん)として洞豁(とうかつ)なるが如し。

豈(あ)に強いて是非す可(べ)けんや」。

州言下に頓悟す。

 

書き写したところで、よく分からないので、現代訳を調べる。

ある時南泉和尚は、趙州から「道とはどんなものですか?」と質問された。 

南泉は云った、「平常心(びょうじょうしん)こそが道である」。

趙州は云った、「やはり努力してそれに向うべきでしょうか?」 

南泉は云った、「意識してそれに向かえばかえってそれてしまうよ」。

趙州は云った、「何もしないでいて、どうして道であると分かるのですか」。

南泉は云った、「道は知るとか、知らないとかいうものではない。

知ったと言っても間違いだし、知ることができないとも言えない。

若し本当に疑いもない道に達することができれば、晴れた大空のようにカラリとしてこだわりも無くなる。

どうしてあれこれ是非を言うことがあろうか」。

趙州はこれを聞いた途端に悟った。

 

んー……んーー……わからない。わからない。

難しいですね。

道(タオ)を悟ることは、到底至らないのだけれど、いまのわたしの解釈として纏めてみる。

 

歩むべき道は、その人の無意識として出るものだから、努力したり意識してなろうという時点で、真の歩むべき道ではない、という事でしょうか。

 

この難しいなあ…… のモヤモヤ状態で、先ほどの詩を今一度目にしてみる。

「春に百花あり 秋に月あり 夏に涼風あり 冬に雪あり

もし、閑事の心頭にかくる無くんば すなわちこれ 人間の好時節」

この詩は、歩むべき道へ至るまでのヒントとなる、日常の心がけを教えてくれているのかもしれない。

 

 

そのときの心を味わい、積み重ねること

たぶんそれは、今起きてることについて、丁寧に自分の心で感じ取るということかもしれない。

これって、意外と難しくて、別のことに気をとられたり、複数なことをやって気が散漫になったり、気がかりなことあると心ここに在らずになったりしてしまう。

 

目の前のことに心を向けたら、

 

空を見あげて自然の美しさに感動したり、

目の前の食事を味わい 作り手への感謝が湧いたり、

好きな人と何でもない時間を過ごすことの有り難さを感じたり、

するのかもしれない。

それらを心で感じる経験を日々積み重ねていくことで、生きる「道」が作られるのかもしれないなあ。

 

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今回もまた、虎屋さんに素晴らしい学びをいただいた。

今日ここに来なかったら、平常心是道の教えに出逢うことはなかったな。未熟なわたしなりに、やってみるよ。

 

ありがとう、虎屋さん。

 

 

そして、楽しみはつづく☺︎

 

続・とらやに首ったけ 〜赤坂で過ごした年末年始編〜

1月末にオフィスの引越しがあり、少しだけ 虎屋 赤坂店に近づくことができた。

オフィスから虎屋さんに行きやすくなると思うだけで、笑顔が止まらない。

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ご近所になった記念に、昨年12月末から年始1月にかけて、赤坂菓寮でいただいたメニューを振り返ろうと思う。

 

 

丁寧に仕上げられた、美しい作品たち

まずはこちら、ランチにいただいたお赤飯。

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虎屋さんにお赤飯がある、というのが驚きだった。

和菓子と同じ小豆を使っているのだそう。お赤飯というだけでも特別なのに、虎屋さんのお赤飯と聞いたら、より一層の特別感♡

お汁も付け合わせも、全部美味しい。

ちなみに、予約をすればギフト用のお赤飯の購入可能らしい。

大切なひとへのお祝いギフトに良さそう〜。

 

こちらは、冬の間に提供されていた季節のランチデザートの揚げまんじゅう。

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素晴らしいツヤ、輝き。

私の記憶では、おまんじゅうの販売はあるけど、揚げまんじゅうの販売はなかったと思う。

デザートで注文しないと食べられない貴重な揚げまんじゅう。

大変、大変美味しゅうございました。

 

こちらの和菓子は「亥の風」。f:id:reicoouchi:20190125134932j:image

風のように野山を駆け回る猪の姿を表したとのこと。

この見た目が、かなりツボ。ツンツンした毛並み(?)が可愛すぎる。

黒砂糖入りの羊羹で、白餡を包む。身体に染み入る、上品な甘さ。

ペロリといただきました。

 

続いて、1月の期間限定メニュー「お雑煮」。

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京都の白味噌仕立てだから白い。

寒い日にいただいたら、甘くてトロトロしていて、身体の芯まで温まる。とろけてしまいそうだった。

また食べたい…けど期間限定メニューなんですって。

あああ、また来年まで待つしかないなんて、残念すぎる。

 

以上が、この年末年始の虎屋さんの記録。

週一は行けなかったけど、定期的に伺えて幸せだった。

 

 

インスタ映えどころではない、美しすぎる和菓子たち

ここまで写真を貼っていくと、改めて、和菓子の美しさに目がいく。

虎屋さんは、5つのInstagramアカウントを持っているが、特にデザイン性の高いお薦めアカウントはコチラ。

とらや (@toraya.wagashi) • Instagram photos and videos

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色、形、装飾…どれもこれも美しく、個性豊か。まるでアート作品のような仕上がり。

見ているだけで、心が癒される。

さらに、このアカウントの素晴らしいところは、歴史と言葉をしっかりと説明してくれるところにある。

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自然の花木や風景が、季節によって変わるのと同じく、和菓子にも四季がある。

和菓子には、短歌のような情緒もあって…とても深みを感じる。

和菓子って、とてもクリエイティブ。

 

 

いつの日か体験したい、和菓子のオートクチュール

虎屋さんにおける、最大の贅沢とは何か。

そんなことを考えていたら、このサイトを発見。

和菓子オートクチュール | とらやの和菓子|株式会社 虎屋

専門の和菓子職人さんが、お客さまの思いや使い道、要望を汲み、唯一無二の和菓子を作ってくれるらしい。

これぞ、虎屋さん最大の贅沢!

素材、形、色、包装など、お客さまと対話しながら一緒に考えていくのだそう。

その歴史は古く、元来の和菓子と言うものは、注文を受けて要望にそったものを作っていたらしい。

オートクチュールは、和菓子屋のたいせつな文化なのかもしれない。

わたしも、人生の特別なときには、ぜひ体験してみたい。

 

 

これがファン心理なのか

今回も、また虎屋さんとの思い出に浸り、幸せな気持ちとなる わたし。

格別な羊羹好き、という訳でもないのに、ここまで虜になってるなんて、本当に不思議。

これが、虎屋ブランドの力なのだろうか。

 

一つの企業が、ユーザーを幸せにするって本当にあるんだなあ。

 

虎屋さん、いつも気づきをありがとう。

 

 

そして、楽しみはつづく☺︎

 

 

日本文化を涵(ひた)すこと海の如し、養うこと春の如し

いよいよ大晦日。2018年も今日でもう終わり。

「平成最後の大晦日」なんて言われているが、皆さんにとってどのような一年だったのだろう?

わたしは、2017年10月末にブログをスタートして早1年が過ぎた。日本文化を知りたい欲求のまま、色々な場所で様々な文化に触れることができた。と同時に、自分自身の無知さ・未熟さにも気づかされる1年でもあった。

本日は1年の出来事を振り返り、2018年に出逢った素晴らしい文化の総復習をしてみる。

着物、伝統芸能、文化講座、旅、勤労奉仕…と粒感まちまちではあるが、どれも今年のわたしにとって大切な学び。

さて、今年のダイジェストを書き留めてみよう。

 

 

憧れの着物ライフへの第一歩

思い返せば、今年の1月末。着物ライフへの想いをブログに綴っていました。

着物ライフに憧れて - ブラレイコ

あれから1年。着付け教室に通い、何とか一人で着付けもすることができるようになった。お気に入りの着物もお仕立てをして、少ないながらも着物を選ぶ楽しみを覚えた。

これについては、年始の想いを実現できて本当に嬉しい♡

https://www.instagram.com/p/BpRuhGWlK94/

Instagramにも着物の写真が増えてきた。

まだまだ上手に着付けもできないし、畳むのも下手だし、着付け教室で習った記憶も吹き飛んだりと大変なことも多いけれど、一歩ずつ憧れの着物ライフに近づけている気がする。

来年は、年明けから着物でお出かけの予定。和装を楽しめるようになったのは、自分にとっての大きな変化の1つだ。

 

 

文楽に歌舞伎に…伝統芸能との贅沢な日々

はじめての文楽に行ったのは、今年の3月のこと。ご縁があって、豊竹呂大夫師匠と出逢うことができ、数ヶ月に一回のペースで文楽を楽しむようになった。

https://www.instagram.com/p/Bf4j3gNgSob/

初めての文楽、独特の世界観に感動し、ブログに綴ったのが懐かしい。

超クリエイティブ空間「文楽」を知る - ブラレイコ

超クリエイティブ空間「文楽」を観る - ブラレイコ

文楽が楽しい!と思えたのは、最初に声をかけてくれた友人と、気さくに文楽の魅力を教えてくれる師匠のおかげだ。

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▲仙台公演の後、師匠の計らいで人形を触らせていただいた時の、大興奮の1枚。

 

ご縁と言えば、今年たくさんの歌舞伎を観に行けたのも、素晴らしいご縁のおかげさま。

八月の納涼歌舞伎からはじまり、十月の中村勘三郎さん追善公演(仁左衛門さんの助六!)、十二月の増補双級巴(吉右衛門さんの石川五右衛門!)と壇之浦兜軍記(玉三郎さんの阿古屋!)と…特に後半は素敵な公演を連れて行ってもらい、最上級を体感することができた。

https://www.instagram.com/p/Bo6AWoMBAlm/

勘三郎さんの追善公演は、歌舞伎で涙を流した初めての演目。

届け!勘三郎さんへ「中村勘三郎七回忌追善」での歌舞伎体験 - ブラレイコ

そして、年内最後は、なんと桟敷席での鑑賞。素人ながら、その素晴らしい空間を垣間見ることができて、本当に夢のようだったぁ!

https://www.instagram.com/p/BrxjeHElUfn/

玉三郎さんの阿古屋の美しさに、うっとりした夜の一枚。

 

週末に、伝統芸能を楽しむという贅沢。日本の昔から続く伝統と、それを受け継ぎ新たなチャレンジをし続けている役者たち。

生で観るから感じる世界観。空間にいる全ての方々の伝統芸能への愛♡  堪らない〜。 

 

 

日本最高峰の講師から、日本文化の真髄を学ぶ

今年も、最高峰の文化講座GENUINE JAPANへ通い、月に1回の講座を受けてきた。

CONTENTS|一般社団法人日本文化継承者協会

小笠原家の礼法をはじめ、能楽金春流柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)、宮家・公家、古事記日本書紀など、幅広い分野の講義を受講。

普段であれば絶対に出逢えない、家元の方々から直接お話を聴けるという、とてつもなく贅沢な時間であった。

小笠原家から学ぶ、真の礼法 - ブラレイコ

宮家と公家の世界をちょっと覗いてみた - ブラレイコ

講義は引き続き3月まで残っており、1月は着物、2月は生け花、3月は禅(zen)と続く。

今後の学びも楽しみ〜。

 

 

旅をして、土地と歴史に触れる

敬愛するブラタモリの影響を受け、旅先の土地と歴史を知ることを大切にしてきた。

今年は、伊勢志摩、京都、新潟、石垣、宮崎、小田原と。歴史ある素敵な場所へ旅をすることができた。

伊勢神宮の森に教えられる、古の智恵 - ブラレイコ

大地の芸術祭で、人はより人間らしくなる - ブラレイコ

青島神社〜鵜戸神宮へ! ブラタモリ宮崎ロケ地を巡る① - ブラレイコ

青島神社〜鵜戸神宮へ!ブラタモリ宮崎ロケ地を巡る② - ブラレイコ

毎回ブログを書いてはいないけれど、その土地と歴史を知ることは、旅に深みを与えてくれる。

https://www.instagram.com/p/Bq4eQO9FGU2/

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▲宮崎の鵜戸神宮にて。ブラタモリロケ地を巡るのも旅の楽しみの1つ。

 

 

これまでの価値観を疑うことになった、勤労奉仕という経験

忘れもしない今年6月。わたしは平日4日間のお休みを取り、皇居の清掃ボランティアに行ってきた。それは、皇居勤労奉仕というもの。

皇居勤労奉仕のご案内 - 宮内庁

詳しい内容はネット記載を控えるが、この経験は毎日から少し外れて、日本人としてのあり方について考えさせられた。

勤労奉仕を終えたときのわたしのメモがこちら。

広大な皇居の敷地には、たくさんの木々・鳥・虫が生息しているが、それらの生命活動を維持するには、毎日毎日の丁寧な作業が求められる。

皇居の広大な自然に包まれながら、小さな存在である自分を感じ、大変心地よく作業をすることができた。

一人ではなく、数十名で一気にやる。生産性よりも、目の前のことを丁寧にやることを優先する。

自然が相手故に、人間が及ばないことがたくさんある。慣れない作業故に、上手くできないことがたくさんある。

今回のボランティアを通じて、手間暇をかけることの喜びを思い出した。

清掃作業の合間に、皇居内の建物や歴史、祭祀などのご紹介を受ける機会があった。また、皇室の方々とご挨拶させていただくという貴重な機会もあった。

それらを通じて、古来の日本は自然とどう関わってきたのか、古来より引き継がれている伝統や国民に対する思いなどを知ることができた。

日本人として生まれ育っていても、日本について知っていることはほんの一部かもしれない。今回は、清掃活動を通じて、古来からの日本の良さ・日本人のあり方などを知ることができた。ボランティアと言いつつ、受け取ることのほうが大きかった経験となった。

ああ、改めて読むと、当時の心境を思い出す。これは、定期的に振り返りたい。忘れたくないことだから。

 

平成最後ということで、天皇陛下の言動により一層の注目が集まっている。

天皇陛下美智子さまは、いつだって私たち国民をことを考えてくださっている。お二人の姿を見ただけで、それが全身の細胞レベルで理解ができる。わたしたち日本人には、天皇陛下美智子さまが圧倒的な愛を常に注いでくださってる。それに気づいたとき、不思議と心地よく、存在まるごと赦されているような、圧倒的な安堵感を感じられた。

 

 

養之如春(これを養うこと、春の如し)

「日本の文化を、日本の魅力をもっと知りたい!」という欲求のままに、様々なことを体験した2018年。

素晴らしい日本の文化はたくさんあるのに、知らないことが殆どで。自分自身の無知さ未熟さを知る1年でもあった。

「どうしてこんなにも日本文化のことを知らないのだろう」「これで日本人として何を語り、受け継げるのだろうか」「何度やっても、着付けが下手すぎる……涙」とか、いろいろ思うことがあるけれど。。。

 

そんなとき、この言葉が頭をよぎる。

涵之如海 養之如春

之(これ)を涵(ひた)すこと海の如し 之を養うこと春の如し

これは、中国後漢の歴史家、班固(はんこ)氏が前漢に関する史書漢書(かんじょ)」の中で記したものらしい。美術史家である會津八一(あいづ やいち)氏や、作家の井上靖氏の名言としても知られているもの。

「学問や見識は、海のように広い文化的教養にたっぷり涵らせ、春の陽ざしが万物を育てるように養っていきましょう。万事、焦らず、じっくりやりましょう」というような意味なのだそう。

参考:図書室から: 春

 

なんか良い感じ。このゆったりどっしりの考え方が好き。

新しいこと・知らないを学ぶのに、卑屈になっていたって仕方ない。学び続けていれば、自然と身についてゆくものなのだから、マイペースにやっていけばいいのさっ♫と、軽やかな気分になれる言葉。

 

まだまだ無知で未熟なわたしでも、振り返ればこの1年で学んできたものがたくさんあるし。(ブログやってると振り返るのが楽でいい◎)

やり続けたら、憧れの人たちに、少しずつ近づいていけるかな。

 

来年もこの調子でがんばろ〜っと。

 

 

2019年も、楽しみはつづく☺︎♡

青島神社〜鵜戸神宮へ!ブラタモリ宮崎ロケ地を巡る②

ブラタモリ宮崎ロケ地を巡る旅、続編。

前回、青島神社堀切峠を楽しんだときのブログはこちら↓

reicoouchi.hatenablog.com

今回は、いよいよ鵜戸神宮へ向かう。
最盛期には、その年結婚した夫婦の約4割が新婚旅行で訪れたとされる、超人気スポットだ。

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青島神社〜鵜戸神宮へ! ブラタモリ宮崎ロケ地を巡る①

やって来ました、宮崎県。

今回は、ブラタモリ #100 宮崎のロケ地を巡りつつ、地質と歴史を学びます。

宮崎 南国リゾートの謎に迫る

ブラタモリの記念すべき#100 宮崎のテーマは「なぜ 宮崎は"南国リゾート"になった?」

宮崎って、昭和40年代後半 新婚旅行の人気ナンバー1エリアだったそう。当時の人気スポットを巡りながら、その歴史を地形レベルから紐解いていきます。

本日巡るスポットは、こちらの3つ。

  1. 青島神社
  2. 堀切峠
  3. 鵜戸神宮

ブラタモリマップに当てはめると、こんな感じです。f:id:reicoouchi:20181206232344p:plain

 今回はレンタカーを借りて、タモリさんの足跡を追っていきます。

www.nhk.or.jp

 

鬼の洗濯板に囲まれた、聖なる青島神社

まずはここ、青島。

 

青島は、周囲1.5キロメートルほどの小さな島。その特徴は、島の周囲にある「鬼の洗濯板」と呼ばれる奇岩にある。

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砂岩と泥岩がミルフィーユのような地層を作り、隆起し、それが海の波によって削られてできた不思議な地形。あまりにもキレイな直線なので、本当に人工的に作ったの?と思ってしまうほど。不思議な景色が、魅力的な島。

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▲独特な景色に溶け込み、国の天然記念物である「鬼の洗濯板」に乗ってパシャリ。
この岩の質感が異次元的!

 

そして、島の中には、青島神社がある。この神社は、縁結びで有名。
ホームページが素敵なので、ぜひチェックいただきたい。
青島神社

青島神社の御祭神は、こちらの3柱。
天津日高彦火火出見命あまつひだかひこほほでみのみこと
豊玉姫命とよたまひめのみこと
塩筒大神しおづつのおおかみ

天津日高彦火火出見命は、日本神話「山幸彦と海幸彦(やまさちひことうみさちひこ)」の山幸彦のこと。豊玉姫命は、その奥様。

神社の歴史は、約1200年。縁結・安産・航海・交通安全の神様として祭られている。

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▲記念に御朱印をいただく。
左は、弁財天の御朱印青島神社は、日向之国七福神の弁財天も祭られているのだ。

日向の国 七福神めぐり

 

 

青島神社周辺のお楽しみ

青島神社を満喫した後は、トゥクトゥクに乗って島を半周してみる。
こちらのトゥクトゥクは、青島へ続く道を行ったり来たりと、往復しており、希望者を乗せてくれる。

料金は無料で、チップ制。歩くよりも青島を一層楽しめるから、時間があったらぜひ乗ってみてほしい。 

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▲お兄さんの丁寧な説明と、トゥクトゥク独特の揺れを楽しむ。
バックミラー越しに、めちゃ笑顔なわたし。

さらに、青島神社の周辺には、売店も多い。
オススメは、フレッシュな果物で作られているジュース。

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▲11月末でも、とっても濃厚なマンゴージュースをいただける。南国ムード満点。

 

 

フェニックスの元祖!堀切峠で新婚気分を盛り上げる

青島神社を楽しんだ後は、鵜戸神宮へ向かう道の途中にある「堀切峠」を目指す。

昭和40年代、宮崎は新婚旅行ブーム真っ只中。当時の人気スポットの一つが、ここ堀切峠だ。

観光バスに乗って移動する新婚さんたちは、堀切峠でフェニックスを目にする。どっしりとした幹に、ゴージャスに広がる葉っぱ。その奥には、青い空と広い海。

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こんな非日常な景色を見たら、新婚気分も盛り上がります◎

この、フェニックスによる南国的演出を考案したのは、宮崎交通の創業者で「宮崎観光の父」と呼ばれる、岩切章太郎さん。フェニックス越しの海の景色イメージは、東海道五十三次からヒントを得たとか。

当時フェニックスドライブインとして大賑わいになった施設は、現在もフェニックス道の駅として健在。今も昔も、ここのフェニックスを見て、南国感を楽しむわけですね。 

道の駅フェニックス オフィシャルサイト

 

 

次回は、いよいよ新婚旅行で一番人気の鵜戸神宮へ向かいます。
さらに、驚きの宮崎グルメもご紹介。乞うご期待。

 

楽しみはつづく☺︎

とらやに首ったけ♡

2018年10月1日(月、寅の日)、赤坂に現れた「パワースポット」をご存知だろうか。

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www.toraya-group.co.jp

3年ぶりに赤坂の地に戻って来た「虎屋」さん。この空間が、とにかく素晴らしい。私はここに来るたびに、幸せな気持ちになり、前向きな気持ちになり、「よし、頑張ろう」と思ってお店を後にする。これほどパワーを与えてくれる空間は、他にあるだろうか。

今回は、大好きな「とらや赤坂店」への愛を書き留めたい。
まだ、とらや赤坂店に行ったことのない、あなたに向けて。

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風姿花伝には、想像以上に人生への教訓が詰まっていた

秘すれば花

秘する花を知ること。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。 

この「風姿花伝」の一節は、世阿弥が伝えようとする芸能論を理解するうえで、最も大切な考え方を記している。

世阿弥は、能楽を通じて、ある種の人生哲学を生み出す。そこには、現代人にも活きる素晴らしい教えがある。

世阿弥の考えた「花」とは何か、「花」を秘するとはどういうことか。それを紐解けば、きっと、何かを学ぼうとする全ての人に気づきを与えてくれるはず。

 

 

風姿花伝」とは何か

1400年頃、世阿弥が亡き父観阿弥能楽の教えを祖述したもの。それが「風姿花伝」。

原文は古典なので、慣れないわたしには少々読みづらい。が、書かれている内容としては非常に端的であった。

今回は、原文と解説文を同時に読むことができる、林望氏の「すらすら読める風姿花伝」を参考に、感想をまとめる。

現代においても十分理解ができる内容になっている。 

すらすら読める風姿花伝 (講談社+α文庫)

すらすら読める風姿花伝 (講談社+α文庫)

 

風姿花伝の目次と概要は、以下。

 

第一 年来稽古(ねんらいけいこ)条々
七歳から五十歳までの年齢別の能楽稽古の心得的なもの。子供に芸事を教えるときの注意点から、十代でのスランプの乗り切り方、花盛りでの注意点と、四十代以降での退き方のポイントを説く。とても具体的。

第二 物学(ものまね)条々
能楽のジャンル別の演技論。ジャンルは、女・老人・直面(ひためん)・物狂(ものぐるい)・法師・修羅・神・鬼・唐事(からごと)の九種類。演劇は、ありのままを写実すれば良いとも限らず、独自の「非写実的真実」の考え方が求められるそう。写実と虚構の絶妙なニュアンスについて説く。

第三 問答(もんどう)条々
QA形式に書かれており、世阿弥の質問に観阿弥が答えたと考えられる章。演出的な視点や、能楽の美学について書かれている。

第四 神儀云(しんぎいわく)
こちらは「すらすら読める風姿花伝」からは割愛されている章。能楽の歴史、発生、伝説について書かれているらしいが、文体や内容なども他の章とは異なるようだ。

第五 奥義云
世阿弥の属した大和申楽(やまとさるがく)と、近江(おうみ)申楽、田楽(でんがく)との流儀の違いが書かれている。他の流儀からも学ぼうとする姿勢と、本当の意味で後世に何を残せばいいのかと考える世阿弥の視座の高さを感じ取れる。

第六 花修(かしゅう)云 
実際の演技の方法について論じる。演者視点に加えて、構成作家的な視点も含まれており、世阿弥が劇作家としても素晴らしい才を持っていたことがわかる。

第七 別紙口伝
明確に、世阿弥の考える「花」に関しての記述のある章。これまでの各章でも語られていた花を、より明確に説明をしており、独自の哲学がここに詰まっている。

 

 

世阿弥が説く「花」

世阿弥は、芸能のもっとも大切な勘所、一世一代の見せ所のようなものを「花」と表現し、風姿花伝のなかで、その大切さを語っている。

この、何とも言葉にはしづらい「花」を、様々な表現で説明をしているので、いくつかご紹介。

各種の芸を稽古しつくし、工夫に工夫を加えて後、はじめて永続する「花」すなわち一生失せない芸の美を知ることができる。 

稽古と工夫を頑張った先に、一生の「花」を手に入れられる。

己の芸の格をよくよく心得て勘違いしないようにしていれば、それ相応の花は一生のあいだ失せることがない。しかし、慢心して相応の位よりも上手なのだと思い込んだら最後、それまで持っていた花もすべて消え失せてしまうのだということである。

自分イケてるな、と勘違いをしたら最後、花はすべてなくなってしまうなんて・・・慢心ってば恐ろしい。

そもそも、花というものは、万木千草(ばんぼくせんそう)において、四季折々に咲くものであるから、ああ春になった、夏になったと、季節ごとにその都度花をみて珍しく思いもし愛で楽しみもするわけである。

能もこれと同じで、見ている人の心に「ああ、珍しい」と思うところがあれば、すなわちそれを面白いと思う心理である。したがって「花」と「面白い」と「珍しい」の三つは本来同じ心から発する三つの側面にすぎない。

「花」を「感動」とか「優美」というよりも、「面白い」「珍しい」と言った興味関心・好奇心のような表現をしている。いい意味で、相手の気を引くことが、芸能の未来に繋がると考えたのだろうか?

 

秘する花を知ること。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。  

そして、冒頭でも紹介したこちらの文章だ。
「花」は開けっぴろげにするものではなく、自分の中に秘めておくものだ、としている。最初から、「花」となる見所を明かしてしまえば、 相手は面白さを感じるわけはない。だから、ここぞという場で見せるために、準備し温めておくものなのだ。



風姿花伝の最後には、次のように記されている。

わが能の道の様々な芸態も、現代の人々、あるいは演能の場所場所によって、その時のおおかたの好みにしたがってふさわしいものを取り出して演じると、これが観客の心に叶い、花となって役に立つということであろう。
(中略)これは見ている人の、それぞれの心々に存在する「花」というものである。さて、そういう風に時に応じて変異する花、そのいずれを本当の花とすべきなのであろうか。せんずるところ、ただその時々に応じてもっとも適切なものを用いることを以て「花」と知るべきなのであろう。

ここでは、「花」は自分ではなく相手の心のなかになるもの、と言っている。

「花」であるかどうかは、相手が決めることであり、その到達を目指して、芸能の努力や工夫を怠ってはならない。そうすれば、相手やその場に合わせた芸能を提供することができるようになり、相手の心に「花」を咲かすことができる。

そんなメッセージのように感じた。

 

 

孤高の天才 世阿弥の人生

世阿弥は、幼い頃から父 観阿弥からの英才教育を受け、天才と呼ばれ、周囲から賞賛を浴びてきた。しかも相当のイケメンで足利義満からも可愛がられたらしい。

一見すると、華々しい人生だなあと思ったけれど、
風姿花伝から読み取れる世阿弥の姿は、とてもストイックで客観性を持った努力家だった。


奥義云のなかで、世阿弥は「風姿花伝」の名前の由来を次のように話している。

とくにこの能という芸能は、本来先人の教えた風姿を継承するのが大切なのだが、しかし、それだけではだめで、そこに各自の工夫・才能によって新しく拓いてゆく面もなくてはいけないわけだから、そう簡単に言葉で説明することができぬ。すなわち、先人からの芸の風刺を継承しつつ、心から心へ言葉を超越して伝授していく「花」が大切だという意味合いで『風姿花伝』と名付けるのである。


さらに、こんなことまで言っている。

家、家にあらず、次ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす。

つまり、「才能は遺伝するとは限らない」として、才覚知性人格の優れた人を選んで継がせるという、極めて合理的な考え方を述べている。

(血縁を大事にしていそうな時代に、結構大胆な宣言をしていることに驚き・・・!)

世阿弥は、若干三十七歳のときに、この風姿花伝を書きはじめている。まるで、能の未来を一人で背負って、未来を案じているかのよう。

 

 

現代に受け継がれる風姿花伝

ここまで、「花」について紹介したけれど、風姿花伝の教えはそれ以外にもたくさんある。

わかりやすく纏っているサイトがあったので、ご紹介。

www.the-noh.com


一部をサイトから抜粋。

 
・初心忘るるべからず

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法、すなわち、試練を乗り越えていく考え方を意味しています。つまり、「初心を忘れるな」とは、人生の試練の時に、どうやってその試練を乗り越えていったのか、という経験を忘れるなということなのです。

・離見の見(りけんのけん)

自分の姿を左右前後から、よくよく見なければならない。これが「離見の見(りけんのけん)」です。これは、「見所同見(けんじょどうけん)」とも言われます。見所は、観客席のことなので、客席で見ている観客の目で自分をみなさい、ということです。

・稽古は強かれ、情識はなかれ

「情識」(じょうしき)とは、傲慢とか慢心といった意味です。「稽古も舞台も、厳しい態度でつとめ、決して傲慢になってはいけない。」という意味のことばです。世阿弥は、後生に残した著作の中で、繰り返しこのことばを使っています。

  

ちょっと紹介しただけでも、現代にも活きる教訓の数々が詰まっていることがわかる。これが、風姿花伝が、最古の演劇論とも、芸能の教育論とも、人生論とも言われる所以だ。

 

 

 南の島で読む本としてはヘビーだった、風姿花伝

今回、遅めの夏休みを取り、南の島へ来ているのだけど、そこで読もうとした本が、この「風姿花伝」であった。もともと、世阿弥の考えには興味関心があり、いつか読みたいなと思っていたので、夏休みのお供にちょうど良い、と思ってしまったのだ。

しかし、実際に読んで見ると、それは大きな間違いだった。世阿弥の言葉の奥深さを汲み取るのが、結構ハードで、自分自身の解釈をつけられるまでに、想像以上の時間を要した。

人の言葉の重みって、その人の”考えの深さ” × ”考えの時間軸の長さ”で表されると思うのだけれど、世阿弥の言葉は、とても考えが深い、かつ1400年から未来(自分が死んだ先の、遠い遠い後世)を見つめているので時間軸の長さが半端ない。


つまり、言葉の一つひとつが本当に重い。

夏休みに、南の島で読もうという書ではない。絶対、向かない。そこのチョイスは確実に間違ってしまった。

南の島で読み解ける内容は、今日ブログに記したレベルにすぎないが、本当はもっともっと自分の人生を見直すきっかけになるレベルの素晴らしい書籍なのだと思う。

東京に戻ってから、改めて読み直す必要がありそう。

そう誓って、今回は、本を素直に閉じたのでした。

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なんくるないさー。

 

 

楽しみはつづく☺︎